そこへようやく両親が戻ってきて、それでようやく話が見えた。彼らはたまたまステラの留守中に訪れた客人で、しばらくこの村に逗留するらしい。もちろんこんな田舎には宿などない。村長宅であるここに部屋を借り、しばらく過ごすことになったのだという。
*
「…何しろこんな時間ですから。大したものは用意できませんでしたけれど」
ことん、とテーブルに皿が置かれる音。それが四枚分続く。
辺りに香ばしい匂いが漂うと、四人の客は一様に喜色を浮かべた。例の狼男などは牙を見せながら舌なめずりまでしている。一体どういう仕掛けになっているのか少し気になったが、ステラは努めてそちらを見ないようにしていた。
「…まぁ、どうぞ。お召し上がりください。遠慮は無用ですよ」
妙に神妙な顔付きの父が勧めると、中の一人が丁寧に頭を下げた。
ゼザだ。
「お心遣い、感謝しよう」
(うわあ、偉そー…)
早速飛びつくように食事を始めた客人たちを前に、ステラは内心苦笑した。
(一体、何日ぐらい食事してなかったのかしらって感じね。…あら、あの狼さんはやっぱり狼の口から食べるの? …本当に、一体どういう…)
「娘のステラです」
父の声に我に返り、ステラは黙って頭を下げた。
「本当はあと3人チビどもがいるんですが、もう休んでいるので…ステラ、こちらはガラフさん達だ。旅をしているそうだよ。しばらくこの村に留まられるそうだ」
「ガラフはあっちだ。…私はゼザ。世話になる」
示されたのはゼザだった。慌てて謝っている父の横でやはり頭を下げつつ、思う。
(本当、初めて見た時から思ってた通り、やーな態度ね――)
薄い、冷たい金色の髪を長く伸ばし、それを首の後ろでゆるく留めている。髭を生やしていないせいか、隣に座った父よりだいぶ若く見えるが、目付きが若者とは思えないほど鋭く、しかも大体において無表情だった。どうにも近寄り難い雰囲気に溢れている。
(髪を伸ばすなんて、女の人みたい。変わった人なのね、きっと)
髪は短く刈り込み、髭もたくわえる。それを当然としているこの村の男達しか見たことのないステラはそう勝手に決めつけると、一応愛想笑いを浮かべて頭を下げた。
「よろしくお願いします、ゼザさん」
彼はただ、薄く笑ったようだった。
次いで立ち上がったのは、例の陽気そうな男だった。
「私がガラフだ」
人懐こそうな顔いっぱいに笑みを浮かべている。
30そこそこかという彼は、表情といい振る舞いといい、いかにも明るい。
それにゼザとは違い、善良そうな人物に見える。
「すまないね。ゼザはどうにもこうにも、見た目通りの無愛想な奴で」
「こいつの<年中しかめっ面>は立派な病よ」
ガッハッハ、と笑うあのガラガラ声の主は、予想通りあの狼だった。
「わしなら、こんなベッピンな娘御を前に黙りこくるなど、やりとうてもできんわい!」
豪快に笑う度、ずらりと並んだ獣の牙が剥き出しになる。
ステラの顔色を察したのか、ガラフが柔らかく口を挟んだ。
「彼はケルガー。あの有名なウェアウルフだ。獣じゃないし、ましてや魔物じゃない。見るのは初めてかな?」
「あ……は、はい」
見ること、どころか聞くのも初めてだったのだが、それはなんとなく悔しいので黙っておく。
そして気付いた。
(そっか…父さん、母さんが静かなのはこの人、っていうかウェアウルフさんが怖いからなのね…)
確かに、同じテーブルでずらりと並んだ牙を見せびらかしながら食事をする狼男の姿を見ているのは正直、あまり気持ちのいいことではない。
困ったような笑いを浮かべていた父親が、ふと気づいたように口を開いた。
「…ところで、先ほどから黙っておられる方がいらっしゃるようですが」
「おお、こいつのことか!?」
出された野菜を頬張りながら、狼男が手を上げる。その大きな身体の向こうにもう一人、隠れるように座っているのを、ステラはもちろん気付いていた。
「こいつめ、ここに来てからえらい無口になっちょるからに…」
「…思春期だからな」
ぼそりと洩らされたゼザの言葉の意味を取りかねて、空間が一瞬静まり返る。
実はそれが何の事はない戯れなのだと皆が気付くまでに3秒を要した。
気を取り直したように、狼の手が向こう側の誰かの首を掴もうとしている。
「…ほれ、黙っとらんで、立ってなんか言わんかい!しらけるだろが!」
「やめろよ、ケルガー」
ステラは首を傾げた。ケルガーに小突かれているのはいかにも昼間のドルガン、ただ、何か違和感のようなものを感じたのは気のせいだろうか。よくはわからないが。
(言葉遣いが、さっきと違う……?)
押し出されるようにして立ち上がった彼は一瞬、気まずそうにテーブルを見渡した。
「…ドルガンです。よろしく…」
それだけ言って、さっさと席に戻ってしまう。何を言うのだろうと待っていたステラは、なんとなく物足りないように感じた。
(…話すの、苦手なのかしら)
それにしては、昼間よく話し掛けられたように思ったのだが。
「あの…ドルガンさん…?」
ステラが前に進み出ると、全員がぱたりと動きを止めた。
何事だろうというようにステラの顔に視線が集中する。
「…知り合いか?」
父が怪訝そうな顔でステラを見る。
「そうよ。昼間、森で会ったの。魔物に襲われたところを、あの人が助けてくれたのよ」
「魔物だって?」
母が顔色を変えた。
「ステラ、お前、そんなこと一言も……怪我は」
母の声を遮って、狼がガッハッハと笑った。
「そうか。ドル坊、美人と知り合いになって有頂天と、そういうことか!」
「…違う」
弱々しく頭を振るドルガンの背を、爆笑するケルガーが思い切り叩いている。ガラフも愉快そうに笑い声を上げている。仲が良いのだ、とステラは思った。常に遊ばれている様子のドルガンがどう思っているのかはわからないが、彼の表情には仲間達を嫌っている、或いは憎んでいる、そういった色は見られない。少なくともケルガーとガラフのドルガンに対するイジメは愛あるイジメのように見えるし、きっとドルガンだってそれはわかっているだろう――それは何故だか妙に腹立たしい眺めだったが、あの中に入り込んで馬鹿騒ぎを止める勇気はさすがのステラにもない。
そんな思いには誰も気付かず、最初の夜は更けて行く。
客人を預かる立場にある両親でさえ、呆気に取られたように客人らを眺めているばかり。
そして。
「…だから、言ったろう。思春期だと」
騒ぎを尻目にカップを啜ったゼザの呟きもまた、誰にも気付かれることはなかった。
*
「…で、何しに来たんですか? こんな田舎に」
翌朝、村長家の裏手。剣の素振りを中断されたドルガンは、どうやら困惑しているようだった。
ステラは敢えて明るく微笑んでみせる。予想はしていた反応だが、それには気付かないふりを通すことに決めてある。
「…どうして、私に訊くんだ?」
朝の澄んだ空気に、鳥の声が響き渡る。いつもなら弟達と遊んでやったり、母親の手伝いをしている時間だ。
だが今日は全て断ってきた。口実なら用意してある。
ステラは後ろ手に腕を組むと、じっと相手の顔を見上げた。
――この奇妙な人達。きっと、近頃続いた怪奇現象と何か関係がある。
それは勘のようなものだったが、ステラは真剣に考えていた。
(使命なのよ)
一人で小さく頷き、そして笑顔を向ける。我ながら、なかなかの演技力ではないか。
「だって一番、ヒマそうなんですもの」
ヒマそう。それは確かに、まぎれもない事実だった。
ゼザとガラフは朝から地図を広げ、その前で小難しげな問答を繰り返している。たまに向けられる二人の疑問にいちいち答えているのは、通りすがりのところを捕まった父だ。畑の見回りにも行けず、もう何時間も拘束されている。
ケルガーは、といえば、朝の散歩に出かけたまま戻らない。昼には戻ると言っていたから、まぁそれまでは戻らないということなのだろう。
「それに、皆さんの中で一番私と年が近いし、一番話しやすそうだし、…何より命の恩人で」
「…ヒマそう…」
ドルガンが、何やら傷ついたような顔で自分の剣を眺めている。
ステラはこっそり俯いてため息をつくと、再び顔を笑顔にしてパッと上げた。
「えーと、とりあえず、村の中の案内でもさせていただけません? 白状すると、ヒマなのは私なんですよ」
「え。…あー…」
ドルガンが再び剣を見る。何かを迷っているようだったが、やがてこくりと頷いた。
「では、…そういうことなら、頼む…かな」
「はい!」
うっかり演技でなく笑顔を見せてしまってから、それでもあまり気にすることなく、ステラは先に立つと、駆け出すほどの勢いで歩き出した。
「じゃあ、ついてきてください!こっちです!」
そう、これでいい。
*
これでいいのだろうか。
歩きながら、ドルガンは目前を凝視した。
三つ編みが二本、先導する少女の背で揺れている。明るい草色をしたそれは、今は昇ったばかりの太陽の光を受けて透けるばかりに輝いている。
(…綺麗だな)
ぼんやりと考え、それから慌てて自分に訂正を入れる。
(…綺麗な、色だな)
自分には使命があるのだ。
だから、一時たりとも気を抜いてはいけない。剣の腕を鈍らせてはいけない。
それは分かっているのだが。
ステラと名乗った少女によって示される民家、湖、森――それに、木々と花とに囲まれた墓地までも。その明るいことと美しいこと。穏やかなこと。それらが、確かに心を惑わせる。
それに加えて。
(何か…話さないと)
気まずい。少女と歩き出してから自分が一言も言葉を発していないことを、彼は自覚していた。
ステラは全く気にしていないように、いかにも楽しげにあちらこちらを見せ、説明してくれているが、本心では自分のことを「なんだつまらない奴だ」と思っていないとも限らない。何か話さなくては、楽しく会話しなくてはと焦ってはいるのだが。
しかし、何を話せばいいのだろう。
「…困ったな」
心の中でこそりと呟いた――つもりだったのが、実際声に出してしまっていたらしい。
ステラがきょとりとこちらを振り向いていた。その手は、この地にまつわる古い伝説を説明していた時のまま、真っ直ぐに目の前の湖面を指している。ステラが何か言う前に、ドルガンは慌てて声を出した。
「いや、その…足にマメができていて…困ったなと」
我ながらなんという言い訳だ、とは思ったが、この善良な少女は信じたらしい。
あら、とステラは口を手で覆った。
「それは気付きませんでした…ごめんなさい! 私ったら、一人でどんどん進んでしまって…」
それではゆっくり歩きましょうね、とステラがぴたりと横に並んだ。つまらない嘘を信用させてしまった罪悪感と、何やらますます居たたまれない思いに駆られながら、過ぎていく景色を見やる。
湖。
森。
空。
どこまでも穏やかなそれらは、彼の気持ちになど全く構わず、どこまでも美しく輝いていた。
*
ステラは、隣を歩くドルガンの横顔をこっそり見上げた。
彼はぼんやりと、遠くを見ているようだった。――よく考えてみると、さっきからほとんど相手の声を聞いていない。さらによくよく考えてみると、ずっと自分ばかりが喋っていて、相手に喋る機会も与えずにいたような気がする。
おまけに、案内すると言っても鄙びた村だ。ここから出たことのないステラにとっては世界の全てに等しい場所だから張り切ってしまったけれども、旅慣れた様子の彼には珍しくも何ともない眺めなのかもしれない。
要するに、退屈させてしまったのに違いないとステラは判断した。
「…えーと」
何か喋らせなくては。咄嗟に口をついて出たのは、何ということもない質問だった。
「皆さん、すごく仲がいいんですね」
ドルガンが「えっ」という顔をする。突然話し掛けられて驚いたのに違いない。
「…そう――…そうか? …そうかな。いや、でも…ああ、でもそういう物かな…なのかな…」
ステラは黙って相手を見上げた。何だか要領を得ない。
「…一緒に旅してるんですよね。皆さん、最初からお友達だったんですか?」
「友達!?――…いや、友達じゃ…ない。友達じゃ、ないな」
ステラが首を傾げると、ドルガンは僅かに目を伏せたようだった。
「あいつらは…ずっと年上だから…」
「ああ。先輩と後輩の関係なんですか?」
「先輩…そうだな。そうかもしれない」
「『かも』って」
結局何もわからない。ステラは困ってドルガンを見上げ、その頬がわずかに赤いのを見つけた。
「あいつらは…年上だから。しっかりしてるし。強いんだ。私は一人若くて…未熟で、困る」
「そんなこと」
「そうだな。足を引っ張ってはいない…とは思う。ただ、あいつらはいつまでも上にいて、それに俺だけがいつまでも追いつけないというのは、やっぱりなんだか悔しい」
何か慰めの言葉を――かけようとして、ステラは諦めた。ドルガンの表情はどこまでも生真面目で、だからそれが本音だとわかってしまう、だからこそ余計に何も知らない自分が安易な言葉をかけてはいけないと、そんな気がした。
代わりに、言ってみる。
「…今、『俺』って」
ドルガンは目を見開き、そして苦笑したようだった。
「ああ…やっぱり、慣れないとボロが出るな…」
「普段は、『俺』って言うんですか?」
「いや、言っていた…というか…」
つまり一人称を『俺』から『私』に移行する、その途中段階なのだとドルガンは言った。
「気をつけていても、気を抜くとうっかり元に戻ってしまう。難しいんだ」
そう言ってため息をつく。
そういえば、ガラフやゼザ。彼らの一人称は『私』ではなかったか。
おそらく、内心尊敬する彼らの影響を受けてのことなのだとステラは察した。
彼は自分の青臭さを知っていて、それを嫌っている。まずは若々しさを捨てようというのだろうか。思い返してみれば、老成したような言葉遣いといい、無理に控えめを装うような態度といい、全てが彼なりの、仲間達に追いつくための努力という名の仮面なのだろう。
そして気付いた。
彼に関する違和感の正体は、これだったのだ。若者らしさをとことん抑え、無理に老けたように振舞う。それでも時折、若さが顔を出す。仮装が露見する。その隙間が、だから。
「……大変なんですね」
ステラはドルガンにつられてため息をついた。
無理する必要はないと思う。のびのびと振舞えばいい。つまらない意地だ、あるがままが一番なのだと、そう諭すことは簡単だろうが、しかしそれではドルガンは救われない。彼は成長したいのだ。自力で大人になりたいのだ。例え傍目に手段が不器用でも、それがいつか実を結ばないとも限らない。どんな馬鹿な行動も、回り道も、彼のことを思うなら温かく見守ってやらねばならないのだ。
きっと。
ふと見ると、いつの間にかドルガンは離れて湖面を覗き込んでいた。近寄ってみると、何やら不愉快そうな顔付きで、水面に映りこんだ自分の顔とにらみ合っている。
「…どうしたんですか?」
ステラは隣にしゃがみこむと、一緒になって覗いた。
水の中のドルガンが、不満そうに顎の辺りを撫でている。
「いや、とりあえず…童顔と言われるんだ、あいつらに。よく。どうにかならないものかと思って…」
「髭でも生やすとか?」
軽い気持ちで、言ってみた。その時頭にあったのは、隣家の主の顔だった。
「もの凄く、その…なんというか、貧弱な感じの顔付きだったんですけど。ほっぺたとか顎に髭をうわーっと生やしてから、ずっと強くて頑固で丈夫そうな顔になったって、そういう人がいるんですけど」
「髭か…」
眉を寄せて、ドルガンは水面を覗き込んでいる。自分の顔に髭がついているところを想像しているのに違いない。
「しかし、私に…似合うだろうか」
「さあ、それは…一度生やしてみないと、なんとも」
「――ふむ。なるほど、いい案ではあるな」
どちらの声でもない。二人はなんとなくぎょっとして顔を上げ――
――何故かすぐ隣にしゃがみ込んでいるゼザの姿に気付いた。
「ゼザさん!?」
「い、いつの間に…」
「どうだろう、私に髭など生えたら…この辺りに」
慌てる二人の様子など露ほども気にしない様子で、ゼザは自分のつるりとした細い頬を無表情で撫でている。
「威厳が増すとは思わないかね? …いや、どうにも私は幼い頃から色が白かったり痩せ気味だったり肌が綺麗で金髪に合っていて『何故女に生まれなかったのか』と父が生前悔やんでいたという伝説に恵まれていたりしてね。どうやら男らしさが足りないようなのだが、もしや髭が。髭こそが私の長年に渡る悩みを解決してくれる鍵かもしれん。何故今まで思いつかなかったのか…まあ、良い事を聞いたというところだな。ところで」
くるり、と細い顔が二人に向き直る。意味もなく緊張した二人に、ゼザは短く告げた。
「…昼食だそうだ」
「あ、そ、…そうか」
「娘さん」
「ステラです」
むっとして答えるステラには構わず、ゼザは優雅に掌を返してみせた。
「あちらで。お母上がてんてこまいではないかな。大人数の食事を用意するのは慣れていないようであったし。娘として、手伝ってあげるとよかろう」
「あ」
それもそうだと――色々と発言に引っかかるものを感じながらも――ステラは気付いて口を抑えた。行かなくては。
「それじゃあ、私、先に行きますね」
慌しさについていけていない様子のドルガンが、呆気に取られた顔で頷くのが見えた。
走ることはできない。それでも精一杯の早さで歩き出したステラの背後で、取り残されたドルガンの肩をゼザが軽く叩き、いくつか言葉をかけたようだった。自分の分からない会話をしているのだろうか。気になるのに、内容はほとんど聞こえない。ただ、星――という、そんな単語が短く耳に残った。
星。
(星……何かしら?)
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