ティータイム:


 

かざした両腕が、ゆるやかに空へと伸びていく。
蒼くて遠くてあたたかな空に触れるため。
真っ白な袖が陽光に揺れて、純白の羽毛に変わる――夢を見る。
どこにも行けずにここにいる、ぬくぬくと安穏と親切とにくるまれた今のわたしを、籠の鳥とは思わないけれど。

でも。

ほんとうは。

たぶん、きっと。

――鳥? …そう、鳥。

だってわたしは翼が欲しい。

風に乗って、好きな場所へ、ひとへ、まっすぐに。
うん。そう。

やっぱりわたしは、鳥になりたい。

 

 

もしもこの身が鳥に変わるなら――

そうね、あまり大きい鳥ではダメ。
おいしそうに見えてしまっては困るでしょう。
あなたのことは大好きだけれど、夕食になりたいわけではないから。

だから、身体は小さくていい。見た目は地味でいい。
ううん、むしろ小さくて地味な小鳥がいい。

知ってるから。
あの人は、そういうものにこそ目を留めるひと。

きっとあなたの興味を引くぴかぴかの尾羽だとか。
うっとり聞き惚れさせる綺麗な歌声は、とてもとても欲しいけれど。
でも、一番大事なものじゃないから、それらは我慢してもいい。

それより叶うなら、ふわふわの白い羽――

誰もが思わず撫でてみたくなるような、とびきりやわらかな羽毛をまとって、小 さくなったわたしはあなたを見上げるの。いかにも無邪気そうに、少しだけ心細 そうに。
ちょっと首を傾げたりして、さぁ小鳥らしく、小鳥らしく。

ねえ、撫でてみる? やめておく?

身を守る役には立たないにしても、わたしはその武器に一瞬を賭けてみる。

あなたはきっと手を差し出しかけて、ふと止めて。
そして、いつものように考えこんで見せる。深刻そうなその目元。

――待てよ、とあなたの独り言。

こいつはまだ雛だろう、と。
人間の匂いがついたら巣に戻れないじゃないか、と。

いつものように。

だけど、変ね?
今のわたしはただの小鳥。何を遠慮する必要があるの?
笑うようにさえずって。おどかすように翼を広げて。

用がないなら、わたしは行くわよ。
今のわたしは、とてもとても自由なの。
もしかすると、あなたよりも、ずっと自由。

いつもとは逆みたいね?

もっと遠くへ行きたいの。時機なんて待っていられないの。
ましてや、与えられるかもわからない赦しなんて。

覚悟してね。
ここを去ったら、わたしは二度と還らない。

足踏みするあなたとの今も捨てがたいけれど。でも、わかるでしょう?

大好きな空に永劫近づけないというのなら、
永遠に抱き締められないのなら、
わたしの翼が、両腕が、可哀相。

――待てよ、とこれは独り言ではなく懇願のよう。
なあに?
と、少し意地悪に問い返す。

戸惑いながら、何かを決めようとしている目付き。
所在なげに浮いていた指を、引っ込める?
それとも、こちらへ伸ばす?

もしも、差し伸べてくれるなら――

わたしの答えは決まっているのに。

 

ねえ、知らないでしょう。

小鳥って意外に甘えん坊さんなの。
だいすきなひとがつけてくれた足環なら、邪魔にもならないの。
金の環でも銀の環でも……ううん、木製でも関係ない。
名も無い花を一輪、くるりと巻いてくれるだけでもいい。
きっときっと、大事にするから。

――あのね。本当は。

遠くへ行くより高く飛ぶより、翼をたたんで寄り添っていけたら。
それだけでとても、

 

「……しあわせなのだけれど」

 

カチャ――

そっと持ち上げたつもりだったのに、やっぱり音が出た。
真っ白なティーカップ。ほんのり漂う林檎菓子の香り。
紅茶の中で揺れる、午後の日差し。

瞬いて、すぅと現実を飲み込んで。

ふぅ、と吐いた息が、まだ立ち上る湯気を乱した。

一人きりのティータイム。

(……あーあ、帰ってきちゃった)

取っ手を摘むのは翼ではなく、いつも見ている自分の指先で。
バルコニーから緑の庭へ、森へ、遠い山脈の上へと広がっていく空を、ただぼん
やりと見上げるばかり。

風に乗って、だいすきなあなたへ、まっすぐに――
だから、わたしは翼が欲しい。

叶うこともない、叶うはずもない一瞬の夢想は、白昼にあっさり溶けていった。


(07/03/12初出・07/09/30掲載)

<あとがきらしき>

07年3月に開催されたバツレナ祭6th参加用の小説?モドキなのでした。
その後実に半年以上も掲載を忘れてたなんて…orz
いつものことですが、祭参加用は何故か普段よりえろす3割増にしてしまいます。

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