:繚乱百花
「さあ、行くよ!」 少女の頭で、二つに結わえられた桔梗色の髪が揺れる。 彼女が張り切って指差した方角を、しかし、その隣で見上げる赤ん坊は気に入らないようだった。 「ぶーう、ぶう。ばー、ぶー、うー」 「何、言ってんの! 大丈夫だよ、怖いことなんて何もないんだから。サリサお姉ちゃんを信じて、ね? 行こう?」 「ぶうぅー」 (か、かわいい……!) 頬を膨らませて不満を表す赤ん坊を思わず抱き寄せ、頬擦りする。 赤ん坊――妹のレナは、言葉が遅かった。実際年齢は一つしか違わないはずなのだが、頼りなさのためか、成長の遅さゆえにか、もっと離れているように感じて仕方がない。 そしてそれがかわいい。人より立つのも歩くのも話すのも早かった自分とあまりに対照的だと母は苦笑していたが、姉の自分から見れば、そんなところが本当にかわいくて仕方ない。何もかも手伝ってやりたい。どこまででもついていってやりたい。 「だーいじょうぶだよ!何かあっても、お姉ちゃんが守ってあげるから。父さんから戦い方、少しは教えてもらってるし」 本当は木剣をニ、三度握らせてもらっただけだ。それも柄の握り方だの構え方だのを教えられるばかりで、振るところまでも到達していない。それでも、ちいさなレナは姉である自分の言葉を信じたらしかった。 「…ばーぶぅ?」 「ホントほんと。だから、ねえ行こう?」 「……ばぶ」 やっと笑った妹の手を、やはり笑いながら引いて歩き出す。 目的地はずっと先――信じられないほど先のはずだったが、こうなると少しも辛い道程ではなかった。 道は明るく輝いているし、何しろ可愛いかわいい妹が一緒なのだ。ずっとずっと笑いながら、どこまでも歩いて歩いて―― 「…誰?」 サリサは警戒して足を止めた。小さなレナを背に庇い、精一杯幼い目付きを険しくする。 道の先に、怪しげな人影が立っていた。 腰に剣を下げた戦士のようだが、自分の父親ではない。もっと若い。見たことのない大人だった。 こちらの姿を認めて、穏やかに笑っている。いかにもあやしい。 「…あっ、レナ!駄目だよ、そんな知らない人の方に行ったら…!」 サリサは目を疑った。 自分の背後から走り出た妹は、もう赤ん坊ではなかった。その後姿は一歩進むごとに背が伸び、髪が伸び、足取りが確かになって、 「……レナ………?」 そして見知らぬ男の手を取り、にこりと微笑み合った。唇を開き、その男の名を呼ぶ―― ――そして、二人で歩き出す。振り向きもせずに遠ざかって行く。 サリサは呆然と立ち尽くしていた。訳が分からない。何がどうなってしまったのだろう。 あの可愛い、小さな妹は、一体どこへ消えてしまったのだろう。 ――自分は、どこへ行けばいいのだろう。 訳が分からない。 分からない、分からない、分からない。 まだまだ道は長いのに。ずっと一緒だと思って、いたのに。 「や…やぁだあああ!」 サリサは消えた二人を追って駆け出した。いつの間にか辺りは薄暗くなり、道も岩ばかりの山道になっていたが、気付かない。ひたすら駆けに駆けて、それでも二人の後姿も見えない。妹の名を呼び、急な坂をなんとか這い上がったところで、 「……あっ…」 地面がなかった。 落ちて行く。ひとり、なす術もなく、落ちて行く。 辺りは暗い。風が唸っている。やがて闇そのもののような、嵐に荒れ狂う暗い海面が眼下に見えた時、精一杯に見開かれたサリサの眼から涙が一筋、静かに流れ落ちていった。 * * * 何やら崖から足を踏み外すような悪夢から醒めれば、片足がベッドから飛び出していた。 タイクーン城。その自室で目覚めた王室の第一王女は目を開け、しばし天井を睨みつける。全身に汗が噴いている。ヒヤリとした感覚が、まだ背筋に残っている―― (…冗談じゃねえ) 心の中で、王女にしては些か乱暴な言葉を吐き捨てながら、それでもはみ出た足をベッドに戻す。そして伸びをしながら考える。 (うーん、何だったかな…なんかすごくヤな夢を見てた気がするんだけど) とりあえず覚えていることは。 (バッツ…なんかわからないけどアイツは敵だ。今度会ったら力一杯殴ってやる。理由は…なんか、わからないけど) ここ最近見かけないかつての仲間の幻に正面から拳を叩き付けつつ、誓う。 そうしてもまだ晴れない、この胸のもやもやは何だろう。 (もやもやっていうか、ムカツキだな) 思い出そうとしても、なんとなく漠然とした息苦しさが浮かんでくるだけで、その正体は一向に思い出せそうもない。なんにせよこのベッドが狭いせいで目覚めが悪くて――と悪態をつきながら彼女は床に立った。 タイクーン第一王女サリサ。世に桔梗姫と称えられる美姫――とはいえ本人はそんな賛辞など知らないし、実を言えば世間の方でも彼女の本性まで知って言っているわけではない。 窓の外は、明るい。不意に出来た暇な時間を利用して昼寝していただけなのだから、当然と言えば当然なのだろうが。 (さーて、どうするかな……) 気分を変えなくてはならない。 頭に浮かんだ選択肢は三つ。もう一度寝直す。昨日学んだばかりの地理学の復習に励む。 (どっちも却下だな) それならば、残るのは一つだけ。 (可愛い妹でも、からかいに行くとか) 採用。 するりと浮かんだ考えに満足してニンマリ笑うと、彼女は素早く廊下へ走り出た。 * その長い長い廊下には、明るい光が斜めに差し込んでいる。 突き当たりまで来て、サリサは足を止めた。 この部屋の主が愛されている証拠だろう、日々丁寧に磨かれ、手入れされていることが分かる扉。 青い帳に刺繍された飛竜の紋章は、王家の証。色は銀。 取っ手に触れてみる。鍵は――かかっていない。 ニヤリと笑って一気に取っ手を引くと、さっと中に飛び込んだ。 「――レナ!」 呼ばれた彼女は机に向かっていた。こちらに背を見せていたが、驚いたように振り向き、そして、 「……姉さん」 花が開くように、明るく微笑んだ。 「ヒマだから来たんだけど…いま、忙しいか?」 「ううん、全然」 妹のレナは、身内の贔屓目を差し引いてもかなりいい女だろうとサリサは睨んでいる。 少々世間知らずで、ぼんやり気味で、かと思えばそそっかしいところもある。しかし何しろ咲き誇る花のかんばせ、優しい声に優雅な物腰。タイクーンの第二王女は春に咲く桜姫、世にも麗しく、心優しい淑女なりと――たまたま忍んで降りた市井にて耳にしたそんな噂話に、どれほどの誇らしさを感じたことか。 ずっと離れていた――忘れていた――けれど、会いたかった家族だった。そしていまや、たった一人の。 そうか、と笑いながら頷きかけ――サリサは首を傾げた。 「…じゃ、何やってるんだ?」 見たところ、レナの机には予想したような本や便箋の類は見当たらない。 「…ぼんやり時間、か?」 「あの、花を」 レナが指す窓辺を見れば、確かに花瓶が置いてある。中には何の種類か、白い花が五、六本。 「…花がどうした?」 「花びらが落ちるの、時々。一枚づつ。それで…」 「まさか、それで『好きー』『嫌いー』とかって、気長に花占いやってるんじゃないよな」 冗談で言ったつもりだったが、見ればレナは頬を染めて俯いていた。 本気かよ、と心の中で苦笑いしつつ、納得もする。 「…花びらをちぎって遊ぶなんて、可哀相?」 予想通り頷く妹に頷き返しつつ、笑う。 「優しいのな、お前は」 「そんなことは……それに、占いっていうわけでもなくて」 でも、とレナは言い訳するように小さく呟いた。 「でも、一度も一緒に連れて行ってくれないから……」 はーん、とサリサは複雑な思いで納得した。それで知りたくなったのだ、相手の心が。 本人は秘密にしているつもりのようだが、この国の第二王女が気まぐれに訪れる、ある旅人に恋焦がれていることを知らない者などこの城にいるはずがない。その旅人は王女の命の恩人、ということで城では有名だった。もちろん『王女』とはレナを指す。レナはバッツという名のその彼に初対面時に魔物から救われ、以降なんやかやと世話を焼き助けてくれた保護者気取りの相手に、すっかり参ってしまったらしい。 ――姉である自分と十数年ぶりに再会する、少しだけ前のことである。 「あのな。そんな占いしなくても結果はわかってるんだろう?」 えっ、と顔を上げる妹に、腕を組んで告げる。精一杯、苦い思いを噛み潰して笑いながら。 「バッツだろ? 占いの相手。心配するなよ。あいつなら、お前に惚れきってるの、見てわかるし」 えっ、とレナは目を見開いた。 「姉さん、わたし…」 「そう、照れるなって」 真っ赤になって俯いた妹を見下ろし、微笑みながら思う。 (やっぱり、こういうとこがさ……) 愛らしい、というのだろうか。 そして、その愛らしさが人をを惹き付ける。例えばバッツのような。 何故かそこでまたムカツキが戻ってきて、サリサは頭を振った。 (駄目だ…なんかわからないけどアイツ、やっぱり殴っとかないと) 「…姉さん?」 サリサは顔を上げた。自分でも気付かないうちに頭を抱えてしゃがんでいたらしい。レナが心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。 「…大丈夫? …なにか、疲れてる?」 いいや、と頭を振れば、手が差し伸べられる。それを握り返し、苦笑する。 ――相変わらず、小さい手だ。もちろん、幼児のそれとは違うが。 日に焼け、潮風に晒され続け、酷使されて厚くなった自分の手と比べれば、明らかに頼りない。 「…もしもだけど」 ふと思いついて顔を上げる。 「出会った順番。もしも俺が最初で次がガラフ、最後にバッツ……だったらお前、バッツなんかに惚れてたか?」 言いながら、内心苦笑する。自分でもおかしなことを訊いていると思ったが――まあいいや、と思い直した。自分でもよくわからないが、ずっと聞いてみたかったことのように思う。 当然、突然のことにレナも驚いたようだった。 「きっと、あの……ううん、わからない。ごめんなさい、あの…」 「…悪い。冗談だ」 サリサはいつの間にか固くしていた身体から力を抜いた。 馬鹿なことを言った、と笑って手を離す。 「…あの」 「忘れてくれていい」 レナの視線を痛いほど背に感じる。邪魔したな、と手を振り、扉を閉めて断ち切った。 後にはただ、苦い思いだけが残った。 * ――もっと早く、会えれば良かったのに。 * 残っている最後の記憶は、いつのものなのだろう。 いずれにしてもそれは古びて擦り切れ、もう輪郭さえも朧で頼りない。 けれどこの手を包んでくれた、手。 大きくて逞しかった。何も知らない自分に日々未知を見せてくれた、あの導き手。 忘れない。 例え、あなたの方が忘れてしまっても。 幼かったあの日を、わたしだけでも。いつまでも、いつまでも、忘れない。 ――ゆっくりと。 ここまで歩いてきた足を、レナは止めた。西の塔の廊下、その突き当たりで、見上げる。 この部屋の主が敬われている証拠だろう、日々丹念に磨かれ、整備されていることが分かる扉。 赤い帳に刺繍された飛竜の紋章は、王家の証。色は金。 取っ手に触れようとして――静かに指を離す。かわりに軽く拳を握って、扉を叩いた。 コツ、コツ、コツ。 そのまま耳を澄ますが反応はない。真昼の廊下は静まり返っていて、侘しささえ感じてしまう。 (…帰ってない、のね) ここ数日、姉は出かけているらしかった。 多分、城の外へ。今でも姉を慕っている、かつての子分達の所へ。 ほう、と息を吐き、ぼんやりと立ち尽くす。さて、どうしよう。 特に用があって来たのではないが、顔も見られないと寂しい気がする。 とはいえ。 (待っててもしょうがないしね…) まだあと数日は帰ってこないだろう。姉は、とにかく忙しいのだ。子分達が待っている。同時にこのタイクーンまるまる一国を――半分はレナが請け負っているとはいえ――負っている。あちこちで、とにかく大勢が彼女を慕っていて、その指示を待っている。期待している。 『王の器』 乳母は、そう形容した。姉のことではない。それは今は亡き先王、つまり二人の父親のことだったのだが。 (きっと、一緒ね) 誰にでも敬われるということ。この人にならついていける、ついて行きたいと思わせる、輝きのようなもの。才気。機転。決断力――勇気。 覚悟。 その、一つたりとも欠けてはいけないどれもが、一つたりとも欠けていないということ。どこにいようとも、自然と人の上に立っているということ。 それこそが―― 「王の、器」 呟きはすぐに静寂に溶け込んだ。 不意に首を落とし、頭を振る。誰にでも好かれる姉は誇りだ。相手が誰でも助けてやる、なんでもやってやる、なんでもできる、大好きな姉。 やっと会えた姉。 父と母と自分と、血の繋がった家族は3人だけなのだとずっと思っていた。それでもある日、漠然と気付いてしまった『もう一人』の存在。発端が何だったのかは忘れた。ただ気をつけて見ていると、父と母には――いや、この城の、昔を知る自分以外の住人には皆それが見えているようだった。それは壁の隅に、見覚えのない古い玩具に、目には見えないけれど濃厚な気配を確かに残していた。廊下や寝室、衣装箪笥、庭、兵舎――城中あらゆるところにその徴はあって、ときには影のようにレナの生活とすれ違うこともあったが、特に不快には思わなかった。一人でこっそり泣いていると、そっと寄り添ってくれる。迷っている時に、ぽんと背を押される。どうやら優しい人らしい――あくまで、相手は『気配』なのだが。 その正体を知ったのは母親が病で死んでから、少しした頃だったように思う。 今から思えば、父には二度目の喪失だったのだ。悲しみとは別に、不吉さのようなものを感じたのではないか。 ――お前には姉がいる。 驚くレナには構わずに、彼女は必ずどこかで生きている。だからお前は死んではいけない。生きて姉を探すのがお前の役目なのだと意地のように繰り返した父の目は、しかしどこか虚ろで―― 実際に姉に会ったのは、それからまた数年の後だった。 姉は『姉』という言葉から想像していたどんな女性とも似ていなくて、けれど不思議に好ましく思えた。彼女はなんと海賊になっていて、しかもその中で頭になっていたらしいが、それはどうでも良かった。王に向いていようとそうでなかろうと、そんなことも実はどうでもいい。同じ空気を感じた、同じ血の流れを感じた――家族だと確信した。大事なのはそれだ。 会えて嬉しかったし、一緒にいてくれる今もやはり嬉しいことには違いない。 彼女はレナの中の、特別の場所を占めている。 (だけど、姉さん……姉さんには) 長くながく離れている間に。 (もう大事なものが、たくさん……) いま来た廊下を振り返ると、光の中で音もなく埃が舞っているのが見えた。 角に置かれた陶器の花瓶からは、白い花が咲き零れている。 綺麗で、そして、眠たげな光景だった。 しばらくそれらをするともなく眺めた後、レナは姉の部屋に一礼してから歩き出した。 部屋に戻ろう。いつまでもここに立ち尽しているわけにはいかない。 姉に甘えたいのは、自分だけではないのだ。 * 最後の角を曲がると、突然騒がしさが耳に飛び込んできた。 レナは思わず足を止め、瞬いた。開け放された自分の部屋の扉を、王宮には不釣合いな服装の男達が規則正しく列を作って出入りしている。列は向こうの階段の下から続いているようだった。入る列の彼らは一様に大きくふくらんだ麻袋を背負っており、出る列の彼らは空になった麻袋を手に下げている。何か大量の荷物がレナの部屋に運び込まれているらしかったが、レナ自身には何の心当たりもない。 何が起こっているのだろう。 「……あの……」 質問しようと列の中から呼び止めた相手は、よくよく見てみれば見知った顔のようだった。どこで会ったんだっけ、と記憶をたどろうとした途端、肩を叩かれて振り返る。 姉が、柱にもたれて立っていた。 「なんだ。レナ、もう戻ってきちゃったのか。留守の間に運び込んでびっくりさせようと思ったのに」 苦笑している。服装も、いつの間にか丈夫な事だけが取柄のような素朴な男物に変わっていて、それは少なくとも――少なくとも、王女に見えるようなものではない。もっといえば、それは海賊時代の着衣だった。 やっぱり、と思う。やはり姉は城の外に出ていたのだ。 「…姉さん」 こちらも苦笑しつつ、思い出した。 頭にお揃いの布を巻いた彼らは、姉の子分たちだ。姉が、ただの海賊だった頃の。 「今でも子分さ」 心を読んだように、黙々と働き続ける彼らを姉は腕で示してみせた。 「不器用な奴らばっかりだけど、何も出来ないってわけじゃなし、一人の手には余るもんだから、ちょいと応援を頼んだのさ。そしたら…まあ、激しくどやしつけたってわけでもないのに、文句も言わずこうして手伝ってくれるんだ。いい奴らだろ?」 「これ…なんなの?」 レナは次々に運び込まれて行く麻袋を指差した。 姉が軽く頷く。 「ああ。プレゼント」 「プレ……」 思わず絶句したのは、袋の量のあまりの多さを思ってのことだったのだが。 「あー大丈夫、だいじょうぶ。中身は、たいしたもんじゃない。ただの花だから」 「花?」 何かの暗号だろうか。ただの冗談なのか。 見ているうちに、ようやく列が途切れてきた。やがて最後の一人が出てきて、敬礼の姿勢を取る。 「おかしら! 全部で500袋、運び終わりましたっ!」 「うん。ごくろう」 「こ、これでおやつ禁止令解除っすか!? 解除っすよね!? 約束したっすよね!?」 思わず顔を上げると、姉はちらりとこちらを見た。何やら決まり悪そうな顔をしている。 「ああ。そうだな」 「ああああありがとうございますっ!」 みんな帰っておやつ食おうぜーと叫びながら最後の一人が走り去ると、廊下は唐突に静かになった。 それを見送っていた姉が、ぽつりと呟いた。 「……ま、脅しとは違うってことで……」 「……姉さん……」 「えーとほら、とにかく、早く見てやってくれよ。あいつらの汗と涙の結晶」 「えっ、ちょっ、姉さ……!」 押されるままに戸口の前に立たされ、見慣れたはずの部屋を眺め渡し、 「はな…っ!?」 まさしく床から天井まで。 ふわふわした可憐なものたちに浸蝕され尽くした自室の信じ難いような姿に、レナの意識はふっと遠のいた―― * 「…造花? なの?」 そうそう、とサリサは頷いた。部屋は造花の切花で埋もれてしまっている。やりすぎたかな、とサリサは今更ながら反省した。 「紙製なんだ。大至急あいつらに作らせた」 「わたしのために?」 もちろん、と頷くサリサはほっとしていた。 突然なぜか気絶した妹を慌てて(腰まで花に埋もれながら)本人のベッドに運び、その辺にあった書類の束で5分以上扇いでやっと気付かせたのだ。ベッドに起き上がったレナの顔色はまだ少し青い。それでも、胸に抱えた一輪をいとおしそうに見つめるだけの余裕は戻ったようだった。 「生きてない花なら、遠慮なく千切れるだろ。紙だから柔らかいし。思う存分ちぎっちゃってくれ」 「そんなことは……」 レナは何かを言いかけ、不意にくすりと笑った。 「…ううん。ありがとう姉さん。みんなにもそう、お伝えしておいて?」 「わかってる」 レナは、幸福そうだった。 そのことだけでひどく満足して、サリサは立ち上がる。 「じゃ、ちょっとそれを伝えにもう一度行って来る」 「戻るのはいつ?」 「んー、まぁ、二日以内には?」 曖昧に言うと、レナが笑う。 「……うん。わかった。道中気をつけてね、姉さん」 「ああ」 じゃあな、と明るく言って窓に向かう。窓枠を乗り越えて振り向いた時、じっと見ている妹と目が合った。同時に、微笑みあう。 ひとには随分おかしな人生に見えるだろう。普通でないのは確かだし、見方によっては誰もしない損をしているとも言える。 けれど。 ひらひらと手を振れば、ひらひらと返ってくる。 それで嬉しくなれるのだから、不満など言っていられない。 妹が誰かの手を取って去って行くまでの短い時間でも、精一杯面倒を見てやる。 それが姉としての愛なのだと、サリサは固く信じている。 * 「……行っちゃった」 手にした一輪に囁き、小さく笑う。 「やっぱり姉さん、一度もわたしを一緒に連れて行ってくれないんだから。海賊のおかしらさんを勝手に姉さんに戻しちゃったわたしのことなんて、本当はキライなのかしら…」 そんなことない、と手の中で花が囁いた。そんなことないよ、と部屋中で花々が合唱している。 レナはくすりと笑った。そうだ、花占いなど必要ない。 「そうね」 この花たちの存在そのものが、つまりは―― 「なんだ、楽しそうだなあ」 さっき姉が出かけていった窓。 そこから顔を出した新しい客の存在に気付いて、レナはパッと頬を紅潮させた。 嬉しさと、――もうひとつ、姉へのものとはまた違う、特別な感情をない交ぜにして。 * * * 「ほら、サリサ。お前の妹だ」 今日からはおねえちゃんだな、という言葉と共に見せられた、ちいさな生き物。 こわごわ覗き込んだ瞬間に、電流が走った。心を鷲掴みにされた。 ちいさな手。ちいさな顔。ちいさな全身で、すぅすぅ息をしている。眠っていた。 短くてふわふわしたピンクの髪。作り物みたいにちいさくて、こまかいまつ毛。 (これが、赤ちゃん? あたしの…妹) 弟か妹ができると聞かされてから、毎日のように想像していた。 一体どんな子なのか。どんな顔で、どんな声をしているのか。 何より嬉しかったのは、いつでもすぐに会える遊び相手ができるということだった。 赤ちゃんはどんな遊びが好き? 何をして遊んであげようかな――楽しみのあまり眠れなくなることもしょっちゅうだった。 想像の中では様々な弟や妹と出会ったが、実際に出会ったこの赤ん坊は、その中の誰とも違った。 誰よりもちいさくて、ふっくらしていて、いじらしい。壊れ物のように繊細で、それでいて瑞々しくふっくらと輝いている。想像の弟や妹達など、この子を目にした瞬間に吹き飛んでしまった。 手を伸ばして、そのちいさな手に触ってみた。まるで人形のもののように細かい、握られた手――だが、感触はふわふわと柔らかく、熱いほどにあたたかい。 「うわぁ…やわらかーい」 サリサは微笑んだ。 と。 不意に、そのちいさな瞳が薄く開いた。寝ぼけたように自分をみつめる、濡れた瞳。 サリサは息を呑んだ。それは本当に綺麗な緑色だった。 (あたしとおんなじ色だ!) 胸がドキドキ鳴っている。 (これが姉妹、ってことなんだ…) サリサは興奮のあまり顔を上気させた。 揺りかごの上から身を乗り出した。丸い顔が近付く。 赤ん坊を脅かしてしまわぬよう、できる限り優しく囁き掛ける。 「…こんにちは。おねえちゃんだよ。ねえ、赤ちゃん。あなた、可愛いね」 言葉はまだわからないのだろう。赤ん坊はただ、眠たげな瞳を瞬いた。 それでも話し掛けられていることはわかるらしい。 サリサはそぉっと赤ん坊の頭に触れると、指先で軽く撫でた。 「あたし、サリサだよ。サリサおねえちゃん。…よろしくね?」 赤ん坊はゆっくりと瞬き、次の瞬間――微笑んだ。 穢れのない、まっしろな笑みに思わず釣られて、サリサも微笑み返す。 心が通った――ように思った。 サリサはもうちいさな赤ん坊の虜になっていた。 小さな頭を撫でながら、思う。なんて、愛くるしい笑顔だろう――今日からあたしは、この子とずっと一緒にいられるんだ。一緒に遊んで、大きくなって、大人になるまで一緒にいられるんだ。いい子にはいいことがあるってよく父さんが言うけど、あたしみたいにいい子にしていれば、こんな嬉しいことが起こるんだ―― サリサは傍らに立つ父親を見上げて微笑み、寝台の上の母親と目を合わせて微笑んだ。 「ねぇ、赤ちゃんの名前は?」 父が、微笑みながら答える。 「レナ……にしようかと思っている」 「れな?」 母もにこやかに頷いている。 賛成、ということらしい。 「レナ、かぁ。……ちょっと、短いんだね」 姉である自分の名前と少しも似ていない。微かな落胆を覚えながらも、サリサは納得しようと口の中でその名を転がしてみた。 「れな、れな、れな…うん、でも、やっぱり、可愛いかも。可愛いよ。いいんじゃない?」 サリサは赤ん坊の顔を覗き込むと、額を寄せて囁いた。 「…でもねー。どうせなら“サレサ”とかにしてくれたら、“サリサ”とお揃いみたいで嬉しいのにねえ?あなたはどっちがいい?」 どっちでもいい、というように赤ん坊は目を閉じて息をつく。何しろ生まれたてで、ちいさな体は疲れきっているのだ。それでも、サリサは構わずに続けた。 「はやくおっきくなるんだよー。それで、『おねえちゃん』って、早く呼べるようになってね。それで歩けるようになったら、おねえちゃんが一緒に遊んだげる。かけっこしたり、かくれんぼしよう? ね? …あ、お勉強も一緒にできるよね。わからないとこがあったら、いつでも教えてあげるよ。木登りだって教えてあげるし、それに…」 大人達の温かい視線にも忍び笑いにも気付かず、サリサはちいさな妹に語りかけ続ける。 部屋には幸福が凝縮されていた。サリサにとって、この日は自分が姉になった記念日でもなく、単に妹の誕生日というだけでなく、自分と妹が初めて出会った幸せな記念日だった。 終わらない幸福の始まり。これからどれだけの年月が過ぎても、この日のこの誇らしい気持ち、嬉しい気持ちを忘れることはないし、褪せることもないだろう――それは予想などではなく、予感だった。 「よろしくね、レナ」 もう一度言って、ふっくらした頬にキス。 「あたし、今日のことは忘れないから。…もちろん、何があっても、いつまでもね」 ・あとがきらしき・ …これって実は暗い話かなあ、暗いかなあ…などということを延々気にしつつ書いてました。 最初は『なんだかタイクーン姉妹が仲良しでー、明るくてー、ちょっぴり幸せでー』な話を書こう!と思っていたので実はラストの過去話部分だけの、ヤマもオチも何もないというとんでもない小話だったのですが、ふっと条件に『バツレナでー』も欲しいな!などと欲張って冒頭の『悪夢?』部分を入れてしまったのが罠の入り口でした…。(書いた途端に路線変わってるし…!)そうして適当に書いたものを数ヶ月放置の後に手入れしたものがこれです←無駄口。いやラスト部分だけでも充分暗い影…が… ところで、タイクーンのハイウィンドさんの一家ってなんであんなに不幸なんでしょう…! 不幸というか、不運なのかもしれないんですが。利発な長女をうっかり連れて行った海で失い、多分美人な奥方の病を癒してやれずに失い、と、きっとアレク王様の心の闇はそんなこんなで醸造されていったんですよ… 『私は国王だ、辛くても頑張らなくては』 ↓ 『民は幸せそうだ。唯一残った次女も育っている。しかし…』 ↓ 『大臣は妻君と睦まじいな。侍従長の息子は今年18か。年月の経つのは早いが、皆いつでも幸せそうだな』 ↓ 『…しかし、何故私が他人の幸せを守らなくてはならないのか?』 ↓ 『何故、他人の幸せを守る国王が不幸に遭うのか?』 ↓ 『…はっ。いやいや私は国王だ、辛くても…(エンドレス回転)』 で、ある日『風のクリスタル木っ端微塵事件』が起こるんですよ! 心の闇がエクスデスに捕まっちゃうんですよ! で、カルナックでのたまわれたという、例の発言に繋がるんですよ! 「少し前、自分は王様だとか言ってえばってるヤな奴がいたぜ(うろ覚え)」 証言:byカルナック市民Aさん(男性) ショッキングじゃないですか!? あの渋い国王がそんな軽い発言をしてたなんて…(いやもしかして別人の発言だったのか) そんなショックを和らげるために(個人的に)妄想してみました。思考がおかしくてすみません。 以上で、ザ・妄想〜終了 …はっ。何故私はこの話にほぼ出番のない父さんの妄想話なんかでこんなに行数を割いているのだろう…!?うーんうーん;; …うん、はい。とりあえずテーマは「ファリス&レナ姉妹いいよね!」ってことです。ザ・逸れまくっといて今更。 ちなみにタイトル、こんな四字熟語は実際にはありませんので!(いないとは思いつつ)騙されないでくださいね!(^^; (04/07/20/TUE) |