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風ぬるむ春。
人々は日毎にあたたかさを増していく陽光を楽しんでいる。


山間の小国であるここ、タイクーンにもようやくその季節が巡ってきた。
だが、この人々の関心事は他にある。
小さな事件が起こったのだ。



タイクーン城・厨房。
半地下に当たるこの場所には普段、料理人と給仕以外に訪れる者はほとんどない。
光も他の半分しか差さないこの天井の低い空間に、今日はどういうわけか昼過ぎから人が詰め掛けていた。入りきらない者達は、それでも戸口にしがみついて必死に中を覗き込もうとしている。彼らはそのほとんどが職務時間外の小姓や当番を外れている兵士なのだが、中にはまだ職務中のはずの者もいる。彼らは一様に好奇心に満ち満ちた眼差しで、鍋を掻き回す一人の若い女中の――正確に言えば、女中の姿をした若い娘の――後姿を注視していた。それどころか、夕食の準備まで休憩時間に入っているはずの料理係までもが全員揃っている。彼らは代わる代わる女中の側に立ち、手元を指しては生徒である娘の動きに一言二言、どこか誇らしげな表情で助言を与えている。対する彼女はまさしく紅一点、背に集中する視線にも気付かないらしく、慣れない手付きで真剣に鍋の中身を木製の匙でかき回していた。
その女中は服のサイズもエプロンのサイズも明らかに大きめで、ついでに、やはり大きすぎる頭の白巾が鼻先にまでずり落ちているため、周りからは顔も見えない。誰か他人の制服を間違えて着てしまったように見えなくもないが、その場にいる誰も、そのことを指摘するつもりはなかった。
長すぎる袖口から覗く、女中にしては妙に整った白い手が匙を持ち上げると、焦げ茶色の液体がとろりと滴り落ちた。鍋から湯気が立ちのぼり、甘い芳香が部屋一杯に広がる。観客の男達は揃って胸一杯にその空気を吸い込み、幸福なため息をついた。それは見事に全員同時だったために意外に大きな音となり、彼らはギョッと顔を見合わせることになった。
が、すぐに笑顔になる。
女中は何も気付かなかったらしく、鍋の中身を器に移す作業に熱中していた。

――おい。初めてにしてはいい出来なんじゃないか?

兵士長が隣の同僚に囁けば、

――いい匂いだな。美味しそうじゃないか。

どこかで小姓達が笑顔で頷きあう。

――よかったな、ちゃんと完成しそうで。

――だけど…

――ああ…

――そうだよな、どうせなら…

ひそひそと、女中の意識を邪魔しないように交わされる囁きは、そうして一つの結論を得る。

――あれをもらえるのが、自分ならいいのに……

それが、彼らの総意だった。
羨ましい思いで、同じ顔をそれぞれの頭に浮かべる。そして苦笑。

彼らは総勢80名あまり。揃って、一人の少女に片恋していた。





「…まだ、男達は厨房に集まっているのですか」

イライラと机を指先で叩きながら、ジェニカが呟く。

「もう二時間にもなるではありませんか。門番まで職務を放棄して、城が敵に襲われでもしたらどうするのでしょう」

「…タイクーンに、敵なんていましたっけ?」

うっかり口にしてしまった傍らの女官はジェニカの鋭い一瞥を向けられ、慌てて二の句を接いだ。

「…えーと、まあ、野生のナッツイーターなどがたまに侵入することもありますしね。月に2度ほど。やはり警備は必要ですよね、はい」

「門番だけではないのです。倉庫番、見回り、騎士隊長、…侍従長、それに大臣まで仕事を抜け出して!この国は一体どうなっているのです?」

ジェニカは忌々しげに顔を歪めた。

「おまけに、国を治める王までもが二人揃っていなくなるとは…前王が御覧になったら、なんと仰るやら。全てジェニカ一人至らないせいなのですと申し上げたところで、お許しになってくださるかどうか…」

「前王様は、どなたもお責めにならないのでは…」

再び睨まれて、女中は慌てて咳き込んだ。

「まあ、その、王女様方が幸せならば、前王様もお喜びになるのではないかと…そう思っただけで」

「ああ、副女官長のそなたまでがそのような甘いことを」

ジェニカは顔を歪めたまま、これ見よがしに大きく息をついた。

「良いですか。王女様方は立派になられたといっても、まだまだ世間知らず。子供といっても差し支えありません。わたくしどもの手助けを必要としておられるのですよ。甘やかしている場合ではありません。サリサ様を御覧なさい、あの方の城以外で過ごされる日の多さ!」

「城を脱走する姿がまた華麗だと、若い女官達が騒いでおりますね。その現場を目撃できた者には一月分の幸運が舞い降りるとか彼女らは囁き合っております」

「そして、レナ様に至っては…レナ様に至っては、あろうことか平民の子息などに想いを寄せておられる!それもまっとうな身分も持っていない…」

「…でも、世界を救いましたよね」

「ああ何故、僭越ながら我が娘とも思い、日々その身と将来を案じ、影となり日向となり、身を粉にしてお仕えさせていただいたわたくしよりも、突然横入りしてきた外の世界やら素性も知れない男やらに惹かれるのでしょう。わたくしはこんなにもあなた方のことを大切に思っているというのに!良いですか姫様方、このジェニカ、全身全霊を持ってお恨み致しますぞ…!」

「…あの、それってもしかしてただの嫉妬じゃ」

「ああ!このジェニカがついていながら恥ずかしい。嘆かわしい。この国はこれから一体……おや?」

ジェニカは目を眇めて眺めていたが、やがてきゅっとその薄い唇を噛んだ。

「あれは…」

ジェニカの見下ろす窓の下、ちょうど門番のいない城門から、一人の旅人らしき姿が入ってくるところだった。





あなたがお作りになった物はこの袋に入ってます、あとはご自分で好きに包装してください。
最後にそう助言を与えた若いコック見習は女中の感謝を表す小さな一言に顔を紅潮させ、走って観衆の中に戻った。その彼の顔を、周りの男達は羨ましそうに横目で眺めながら身体をずらして道を空けた。もちろん、用の済んだ女中を通してやるために。彼女は渡された袋を大事そうに胸に抱えて振り向き、初めてこの大観衆に気付いて驚いたように立ち止まった。集まる視線に耐えかねるように俯き、小走りで出口へと向かう。いくつもの視線が、どこか残念そうにその後を追っていく――
ところが。娘は出口のところで振り返り、ぺこりと潔く頭を下げた。

「あの…みなさん、お騒がせしてしまったみたいですみません。炊事場も占領してしまって…その、ごめんなさい」

男達の顔が、ぱあっと輝く。いいよ、俺達ァなーんもすることがなかった暇人よ。うまく渡せるといいな。頑張って。
様々な声が飛び交う中、彼女の頭巾から覗く唇が確かににっこりと笑った――と、後にその場にいた宝庫番は仲間に語ったという。
頭を下げた時に翠色の瞳が見えたとか、頭巾に隠したつもりの桜色の髪が一房見えたとか、そんなことを語った者もいる。
あれで変装してるつもりなんだからなあ!
誰かが笑い、それで誰にもバレてないって思ってるんだから、と誰かが受ける。
それでも自分から習いに来るなんていい娘じゃないか、他の女官どもときたら俺達コックに小銭渡して作らせておいて自分は優雅に出来合い品をターゲットに渡すだけなんだぜ――と誰かが囁けば、だから俺達はみんな姫様が大好きなんだろう、幸せになって欲しいんだろう、と皆が笑って頷いた。
相手があの風来坊ってのがちょっと腹立つけどな。俺の方が顔は良くないか? 馬鹿、お前は性格が悪りぃんだよ。
誰でもいいんだよ、相手なんて。俺はいつだって姫様の味方だぜ。僕だってそうさ。俺だって――

ともあれ、娘が去って祭りは終わった。

観客達は幸せな微笑を必死に押し殺し、それでも時々思い出し笑いをしながら、速やかに戻っていった。それぞれを待つ、それぞれの持ち場へと。





地上を見下ろす、明るいテラスの片隅。茶器の乗った小さなテーブルが設えられている。
その席で小さな包みを渡され、バッツは物珍しげにしげしげとそれを眺めた。

「…これ? 開けていいのか?」

「うん」

向かって座るレナは、頬をうっすら染めつつ頷いた。黄色いドレスの裾を、風が優しく揺らして行く。
バッツはガサガサと袋を鳴らしながらリボンを外すと、ひょいとその底を覗き込んだ。そのまま目を瞬く。

「? あれ、えーと、これって…」

「あ、あのね!」

思わず大声を上げてしまった後で、レナは思わず俯いた。

「そういう…そういう習慣なんだって。その…そう、お世話になった人に渡すって。女中さんに教えてもらったの。バッツ、そういうの知ってる?」

「お、お世話?」

バッツは目を白黒させたが、

「えーと…いや、知らない……かな?」

でもありがたくもらっておくよ、と言って、何故か同じく顔を赤らめながら、バッツはそっと袋を包みなおした。
紅潮したまま俯く二人の前髪を、そよ風が揺らして行く。

「…あー、と。そういえば、ファリスは?」

「海賊さん達の所に、避難。今日は、その…ほら、こういう日でしょ?たくさんプレゼントされるのが嫌なんですって。…姉さん、女官達に人気あるから」

「…女官に?」

「うん。去年は部屋中ショコラの包みだらけで姉さん、寝る場所もなくなって困ってた」

「へ、へえ…」

再び重い沈黙が訪れる。

「…で、その、これ。自分で作ったのか?」

「うん。教えてもらって…」

「誰に?」

「…内緒…」

「お茶のお代わりはいかがです?」

突然割り込んできた声に、二人はドキリとして顔を上げた。
いつの間にやらジェニカが真顔でテーブル脇に立っている。その手にはティーポットを下げられていた。

「盗難事件はある、城中の男達が3時間消える、おまけに遠方より客人があって私は大忙し。まったく。今日はなんという素敵な日なんでしょう!」

「…盗難事件?」

とりあえず気になった単語を繰り返すバッツに、ジェニカは鷹揚に頷いた。

「ええ。昼前中庭に干してあったたはずの女中の制服が一着、消えていたというのですよ」

俯いていたレナが、びくりと身体を震わせた。それを確認するように見やりつつ、ジェニカは何かを投げやりのような声で続ける。

「どこを探しても見つからなかった。にも関わらず夕方、元の竿にかかっているのが見つかったのです。その服は御丁寧にも何者かによって再び洗い直されたようで、行方不明になってから何時間も経過しているのにも関わらず濡れたままでした。…まるで、誰かがちょっと借りていた、とでもいうように」

再びレナの身体がビクリとする。それを横目で気にしながら、バッツは曖昧に頷いた。

「…変な話だな」

「そう。謎だらけなのです。…謎と言えば、本日何故か厨房一杯にショコラの匂いが」

「ジェニカ」

バッツが見ると、レナは思い詰めたような表情でジェニカを見上げたところだった。何故か顔色まで青く見えるのは気のせい、ではないだろう。
レナは手元に置いてあった掌に乗るほどの小さな光る袋を取り上げると、両手で差し出した。ジェニカの目が見開かれる。

「これ…ジェニカの分」

「…わたくしに、ですか?」

「うん。だって」

レナは弱々しく微笑んだ。

「ジェニカには、小さな頃から毎日すごくお世話になってるから。渡したかったの」

「…どうせ、うるさい年寄りへのお義理でございましょう」

ジェニカは低い声で呟いたが、袋はしっかり腕に抱え込んでいた。

「…まあ、せっかくですから。特別手当と思っていただいておきますよ」

レナはホッとしたように笑い、それから思いついたようにカップを差し出した。

「あの、おかわり…お願いできる?」

ジェニカはじっとレナを見下ろした。レナは首をかしげてそれを見返している。
やがて、ジェニカがついと顔を逸らした。

「…申し訳ありませんが、ポットに湯を入れ忘れてきたようです。すぐに取ってまいります」

そう言って身を翻すと、足音高く去って行く。その後姿が見えなくなると、得体の知れない緊張から解放されたバッツはホッと息を吐いた。

「あーあ、と。…俺、レナには悪いけどあの人苦手だよ。堅苦しいっていうか、厳しいっていうか」

「そう? 優しい人なのに」

「…はぁ?」

レナは笑いながら横を向くと、目を細めた。
あたたかな風が、額を優しく撫でていく。

「…みんな、優しいし親切な人ばかりよ。わたしの周りの人は。だから、みんな、大好きなの」

顔を正面に戻して微笑し、少しだけ微笑む。
密かにその横顔に見とれていたバッツは、慌てて座りなおした。

――……あなたもね。

「え? ご、ごめん、何だって?」

「なんでもない」

気にしないで、と呟いて、レナは顔を上げた。

「わたしは毎日幸せよ…って、そう言っただけ」

そういうと、呆然としているバッツに向かって、花のような笑顔を見せた。






・あとがきらしき・
実は今までバレンタインに合わせて話を書こう書こうと思いつつ、一度も間に合ったことがなかったということで今回リベンジです。急いで書いたので、ちょっと粗くてごめんなさい。
…とりあえず、ジェニカさんはもっと冷静な人だと思います。本当は。

そして、ジェニカを出したばかりにテーマがバツレナからずれていく…(バレンタインなのに!^^;)きっとレナは愛されて育ったんだろうなあ、と、そんな感じで、でも子供は周りの大人達の善意に気付かず育っていくものですから…そして嗚呼、親子の確執(?)。ただここのレナ様、決意一秒でちゃっちゃか駆け落ちとかしてしまいそうな困ったさんに育ってしまったような気配がします(いや、見物側としては一向に構いませんがv)。バッツ君、王様になるつもりないかなぁ…。

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