:はじまりの始まり以前




街の上に垂れ込める、鈍色の曇天。
にも関わらずそれほど重苦しい気分にならないのは、冬の空気が冷たく澄んでいるせいかもしれない。あいにくの曇天にも関わらず、人出は多い。今日で一年が終わる、そんな気分が作用しているのだろうか。行き交う雑踏と、華やかだがどこかしめやかな喧騒。その流れの真ん中で、彼はぴたりと足を止めた。静かに上向く瞳は、見つめる曇り空の向こうを映すかのような、青。左手には手綱を巻きつけている。

「…今夜辺り、雪でも降りそうだなー」

それが独り言にならなかったのは、手綱の先に繋がれたチョコボが、相槌を入れるように鳴いたおかげだった。

「クエッ」

「宿屋、取れるといいよな。さすがに雪の中で野宿はキツイし」

「クエッ!」

賢く合の手を入れるチョコボに、彼は目を細めて笑った。寄せてくるクチバシを軽く叩き、なでてやる。人々は道の中央を塞いでいる彼らになど気付かないかのように、左右に分かれて流れて行く。

チョコボは名前をボコ、という。もちろんそれはボコの方から名乗ってきたのではなく、彼が付けてやった名なのだが、ボコはきちんとそれを覚え、反応してくれる。近頃は喜怒哀楽だって互いに理解している自信がある。言葉は話せないものの、このよく気の付く利口な鳥を、彼は親友とも相棒とも思っている。

「とは言ってもなんだか人も多いし。宿屋が空いてるとは限らないからな…一応、野宿の覚悟は決めておこうぜ、ボコ」

「クエ、クエッ」

彼はボコに笑いかけると、再び前を向いて歩き出した。「やどや、やどや…」と口の中で転がしながら歩く。チョコボを連れている旅人が特別珍しい存在であるわけでもないが、そういった彼らが宿屋を探すのは簡単なことではない。安心してチョコボを預け、世話まで頼むことができるチョコボ用の厩と作業員までもを揃えている宿が、決して多くあるとは言えないからだ。あったとしても、次に料金の問題がある。安定した収入もなく先も見えない立場の旅人にとって、あまりに高い料金を払わされることは好ましい事態ではない。
けれどそういう手間を取らされることになろうとも、彼はボコを手放す気にはなれなかった。きっとどちらかが死ぬまで一緒なのだろう、と思う。願いにも似ている。

「にしても…宿屋ってどこだ?」

雑踏の真ん中で、彼は再び足を止めた。この街には慣れていない。ただ闇雲に歩いているだけでは、都合よく宿屋が見つかることなどないだろう。
両脇を、人が流れていく。この街の住人らしい様子の人間が多いが、なかには自分のような姿の旅人や、行商中の商人らしき姿もちらほら見える。

「誰かに聞いた方が早そうだな」

「クエッ」

ボコがクチバシで示す先には露店があった。道端に派手な色の布を敷き、男が一人で座っているのが見える。近寄ってみると、何やら甘い香りが鼻をくすぐった。

「果物屋……か?」

「クエ」

もっともらしく頷くボコに、彼は苦笑した。

「お前、匂いにつられただけだろ。いま俺達に必要なのは宿屋であって…」

「おやそこのチョコボ連れのお兄さん!旅の空に、果物なんていかが?」

露店の主が気付いたらしく、声をかけてくる。彼は苦笑したまま、ボコを連れてその男の正面へとまわった。

「…そういえば、朝から何も食べてないんだよな……」

「クエッ」

「おっと、それはいけないねお兄さん。リンゴなんてどう?安くしとくよ」

男がなれなれしくリンゴを数個、押し付けてくる。その細い、どこか小ずるそうな顔を見ながら、彼は再び苦笑した。

「うーん…なあ、虫食ってるぜこれ」

「気のせい、気のせいね」

ただでさえ余裕のない男の顔に、どこか焦ったような微笑が浮かんだ。

「別に虫食いの売れ残りを押し付けようとしてるとか、ていうか実はもうこれしか商品が残ってないとか、せっかく遠くまで行商に行って仕入れたこれを売り切らないと寝覚めが悪くて帰れないとか、家ではお腹を空かせた妻と幼子が今年最後の日だけでも行商で留守がちな私と一緒に過ごそうと待ってるとか、そういうヤラシーイ事情なんて全然ないんだからね。なあーんにも気にせず買って大丈夫だからね。どうか買って。たのむから買って。お願いしますから買ってくださいッ!」

「いや、いいけど…別に。虫がついてるならついてるでボコがよろこぶだろうし」

「あーりがとー!!」

満面の笑みを浮かべる男に言われるまま、タダ同然の料金を払う。ついでに宿屋について聞くと、裏通りにちょうど良さそうな宿が2、3軒あるという。リンゴの袋をボコに結わえ、礼を言って別れようとすると、店主が付け加えるように言うのが風に乗って聞こえた。

「形は悪いけど、味は保証するよ。はるばるリックスから来たリンゴなんだから、それ」

彼は足を止めると、少し振り返った。男は既に店仕舞を始めており、こちらを見てはいない。彼は少し口を開きかけたが、首を振ってまた歩き始めた。なんにせよ、宿屋を探すことが先決なのだと思い直して。





*   *   *   *   *





「…まさかどこも全部満室だったなんてな。運が悪かったよな、ボコ」

「クエ…」

ともに俯きながら、またも大通りを逆行していく。曇り空のお陰でわからないがそろそろ時間的には夕暮れなのか、人通りも減ってきたような気がする。皆帰ればあたたかい食卓が待っているのだろうか。自分には永遠に縁のないだろう光景を思うと、少しだけ切なくもなる。

「…仕方ない。今日も野宿だ」

「クエ」

歩いて歩いて、街を出る。そのまま歩いて森に入る。野宿をする時は、必ず森の中でと決めていた。
宿を取れない旅人の中には酒場で朝まで粘る者もいれば、路地裏で、橋のたもとで、他人の軒の下で夜を過ごす者もいる。が、彼はどうしてもそうする気にはなれなかった。ボコを連れていると言う事情もあるが、ただなんとなく、

「……そういうの、カッコ悪い気がするんだよな」

彼はうめいてため息をついた。それが白く、後ろに流れる。

「まあ、こっちだって面倒臭いし効率悪いんだけどな。魔物だって出るし。何より冬は寒いし。なんか街中の方が人が多いぶん、あったかいような気はするよな」

「クエクエ」

「でもまあ、都会は魔物だって親父も昔言ってたし。人間だって誰でも信用できるわけじゃなし、きっと自然に囲まれてのびのび寝るのが人として正しい…――」

「…クエー…?」

「――…かどうかはわからないけど、とにかく健康的な気はするよな。うん」

やがて森の少し奥まった辺りに適当な場所を見つけて、彼は早速ボコに負わせていた荷を下ろした。ついでに手綱を外してやる。ボコと協力して薪を集め、彼が火を焚く。そうしてやっと座り込み、一息つくことができた。ふと気付き、荷袋の一つを引き寄せる。袋の口を開くと、なんとも甘い香りがした。

「そうだボコ、リンゴでも食おうぜ。虫食いの」

「クエッ!」

ボコがうれしそうにクチバシを開いて寄せてくる。彼はそこに一つ、虫の入った跡らしい穴の空いたリンゴを放り込んでやった。ボコはそれを一度地面に置き、器用にもクチバシで細かく砕いて欠片を平らげて行く。

「……チョコボって、本当に雑食なんだな……」

「クエぇ?」

「いや、なんでもない」

彼は袋からもう一つリンゴを取り出した。それを炎に透かして観察する。形がいびつではあるものの、虫はついていないらしい。一口齧ってみる。咀嚼する。甘酸っぱい香りが広がった。

「……うん。うん、おいしいな、これ。形は悪いけど。掘り出し物だったかもな」

「クエクエエ」

ボコも嬉しそうに鳴き声を上げた。もっともそちらはリンゴに隠れていた虫を見つけて楽しげに追い回している喜びの声のようだったが。彼は笑いながら、またリンゴを齧った。冷たい風が吹き抜けていく。

「リックス……だってさ」

「クエ!」

ボコは気もそぞろでほとんど聞いていないようだが、彼は構わず静かに呟いた。

「そういえば、リンゴなんて作ってたか…?」

彼は宙を見上げた。リックス。この大陸の北の果てにあるその小さな村が彼の生まれ故郷であり、唯一の拠り所と呼べる場所である――はずなのに、その記憶はおぼろげで頼りない。あまりにも長く離れてしまったせいだろうか。
リンゴの樹。言われてみればあったような気もするし、逆にどこにもなかったような気もする。

「覚えてねえな」

ぼんやり考え込んだまま、食べ終わって残った芯を焚き火に投げ込んだ。また袋から新しいものを一つ取り出し、齧りつく。

「……なあボコ。今度、一緒にリックスに行ってみるか?お前、行ったことないだろ?」

「クエ?」

ボコが顔を上げる。ミミズの尾のようなものがクチバシから覗いているのを見ると、どうやら先ほどから大騒ぎしていた捕獲作戦は成功のうちに終了したらしい。

「…って言っても、リックスはかなり北だからな。今から行くのは寒いか。行くなら春とか夏にしないと」

と一人で完結して、彼は頷く。実を言えばその結論に安堵していたりもする。あまりに時を隔てたせいか、故郷を訪れることにはなぜか気後れを感じてしまう。戻っても自分の居場所がないということをわかっているせいだろうか。そうかもしれない。それに、何より記憶の隅に追いやられつつあるような場所を、本当に故郷と呼んでも良いものなのか――拠り所、と言い切るには違和感のようなものを感じるのだ。

「…母さんにも、随分長い間あいさつしに行ってないんだけどな」

「クエエ」

いつの間に平らげたのか、リンゴ袋は空になっている。さすがに満腹になったらしく、ボコが隣から体を寄せてきた。こちらからも寄りかかると、上から翼で覆ってくれる。そのあたたかさに、彼は微笑んだ。寒い夜など、ボコはいつもこうしてこちらの身体をあたためてくれる。

「なあボコ。俺達、いいコンビだよな」

「クエェッ」

「ずっと一緒にやってけるよな」

「クエッ!」

剣を鞘ごと外し、胸に抱いて目を閉じる。それが野外で寝る場合の備えだった。
眠るために集中しようとして――ふと思いついて口を開く。

「でも、お前さ。もし…もしもだけど、すっごい美人…じゃなくて、美チョコボか?まあいいけど。とにかくそんなのが見つかって結婚なんてしたくなったら、どうする?」

「クエェ〜?」

「俺っていう相棒と、美チョコボな嫁さん。どっちを取るんだ?」

「…………」

ボコは、少なくとも30秒は沈黙していた。眠ってしまったのかとも思ったが、そうではなかったらしい。ボコはやがて頼りなさげに持ち上げた翼で、ぱん、ぱん、と彼を叩いた。

「……クェ…ェ?」

「そんな自信なさそうに俺を指さなくても…」

「クエ、クエクエ!」

「え、俺か?お前と美人な嫁さん?うーん…」

彼はぼんやりと暗い空を見上げた。

(美人って、でも、どんなんだ…?)

そこから考え始める。美人。
思い浮かんだのはどこかの街の酒場で絶賛されていた年嵩の踊り子だの、同じくどこかの街のどこかの店で看板娘と呼ばれていた商売上手な少女の顔だったりしたのだが。

「うーん……なんか違うんだよなー…」

彼女らは確かに周囲から美人と評されていた。が、彼女らを見ても結婚の二文字は出てこない。おそらく、何かが理想と違うのだろう。それは単に容姿など好みの問題なのかもしれないし、もしかすると彼女らから感じられるあからさまな日常の生活感というもののせいであるのかもしれない。
日常生活。それはあまりにも彼自身に縁がない。どこかに根を下ろし堅実に暮らすということに憧れを感じることがないわけでもないのだが、いざそうしている自分を想像しようとするとどうしてもうまくいかない。幼い頃から放浪を続けて生活観というものを培ってこなかったせいなのか、それとも根本的に堅実な生活というものに向いていないのか。そして、そんな夫に果たして妻を幸せにすることなどできるのか。
――ちなみに彼には、妻を幸せにすることが夫の責務だという思い込みがある。

「…やっぱり俺、一生独身かな」

ため息をつく一方で、自分の父親のことを考えていたりもする。今は亡き父もまた放浪の人ではあったが、しっかり妻たる女性を得、本人がほとんどの場合欠けていたとはいえ家庭だって形だけはしっかりと築いていた。
はた、と気付く。

「俺…もしかして駄目親父以下?どんどん質の悪くなる……家系…?」

うっかり自分で呟いた言葉に落ち込みかけ、彼は慌てて頭を振った。

「いやいやいや俺だってまだ19だしな!もうすぐ20になっちゃうけどまだ19だしな!俺の人生まだまだこれからだってのに何老けたこと言ってんだか。落ち込むから老けるんだよな明るくしてりゃ若いままだよな、頑張ろう、うん」

「クエー…」

「うわボコ!なんだよその哀れみの目は!」

「クエー、エエー…」

「ううっ、そんな目で見るなー!」

ボコに殴る形を見せながら、なんとはなしに思う。
――端から見たら、どんなふうに見られるのだろう?チョコボと意思疎通し、あまつさえ一緒に戯れなどしている若者その1。

(そうだな。危ない人だから近寄っちゃ駄目とか、係わり合いにならない方がいいとか。少なくともそういうことを考えないのがいいかな。嫁さんにするなら)

そこまで考えて、なんとなく一人で赤面する。

(なんで俺、嫁さんのことから離れられないんだよ…)

「クエ?」

こちらが静かになったことを不思議に思ったのか、ボコが顔を覗き込んでくる。彼は慌ててそのクチバシを小突いてやった。

「そうだな。まあ、あれだ。心配するな。俺はただの美人より、なんていうか、こう…心がきれいで優しくて、おまけに絶対チョコボなんかクサくて嫌い〜とか言わないようなのと結婚するから。うん。そんで三人で…あ、お前の嫁さんも入れたら四人か。四人で旅を続けよう。な、いいだろ?それならどっちかだけ選べとかそういう面倒なのもないし、何より、俺達だってずっと一緒にいられるし。人数が増えたら賑やかで楽しそうだし」

まくし立てながら、驚いていた。心がきれいで優しい――いつの間にそんなことを考えていたのか自分でもわからないが、もしかするとそれが自分の理想なのだろうか。あまりに漠然としているけれども。

「クエ」

「そしたらみんなで一度くらい、リックスに行くのも悪くないな。なんかその方が行きやすそうだし。みんなを俺の親父と母さんに紹介しに行こう。いいだろ?」

「クエッ!」

「よし、決まり」

彼は笑うと、再びボコにもたれて目を閉じた。もう一度、あたたかい翼が身体を覆ってくる。家族を作っても、ずっと一緒にいる。我ながらいいアイデアだと思う。

(とはいっても)

眠りに落ちる直前、彼はふと苦笑した。目を閉じたまま。

(そうそう上手くいくもんじゃないんだよな、未来って。そんな都合のいい嫁さんが見つかるとも限らないし。まあ、先のことなんてどうなるかわからないけど、お前と一緒なら大丈夫かな……俺は)

考えてみれば、もう何年も人間と深く付き合った覚えがない。
そのこと自体は一向に構わないのだが、ただ一つ問題がある。ボコにもそれだけは打ち明けたことがない。

(…たまに自分の名前を忘れそうになるんだよな、俺。誰にも名乗らないし、呼ばれないから。俺と気持ちはわかりあえてもお前、クチバシだし……俺の名前なんて呼べないし……)

バッツ、と呟いてみて、安心する。まだ自分の名前は覚えている。違和感を感じずにいる。
――それでもいつかは、忘れてしまうのだろうか。他人の名前のように、遠い存在になってしまうのだろうか。思い出せない、居場所もない、まるで遥かなる故郷のように。

(――ああ、それでか。それで俺、嫁さんのことなんか……)

急速に膨らんでいく眠気の中で、結論は出ない。ただなんとなく納得したような気分で夢の中に落ちていく。こんなこと、明日起きたら忘れてるだろうな――

森の上にはいつからか雪が降り始めていたが、常緑の枝に阻まれてここまでは届かない。
やがて雪解けの季節が訪れ、草木が芽吹き、初夏を迎える頃まで埋もれ続けることになる彼の名前も、けれど今だけは安らかな眠りの内にある。
やがて訪れる、見当外れの未来のことなど何も知らず。
ただ、安らかに。










>あとがきらしき
65点(何)。同じ時期に書いたせいか、この一つ前の「知らない話」とオチが似てしまいました……書いている途中では、全然そんなつもりはなかったんですけど。でもこっちは至って軽ーい気分で書いていたので、きっと雰囲気は違うはず。
バッツ君、いつもより少しだけ若い感じが出てる…といいなあ(^^;
密かに、今までで一番ボコが出ばってます(笑)。
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