: 憧憬小景〜meaningless rain







『雨粒とは、世界中で流された涙がその数だけ、天からもう一度流れてくるもの』

誰でも知っているが為に、陳腐とされる言い回し。古い歌。
けれど、最初にそれを歌った詩人の名は何だっただろう。

誰だったのだろう。



*   *   *   *   *



ゆうべから降り出した雨はまだ止まない。時間的にはまだ昼過ぎのはずなのに、辺りが日暮れ後と紛うほど暗いのはそのせい。
古い宿の一室。私は座っている。古そうな木の椅子を、同じだけ古そうな窓辺に寄せて。
格子状に仕切られた窓硝子を透かして見えるのは、濡れる草。地面を流れる水。影差す世界。
雨、雨、雨――雨。

鳴り止まない密やかな雨音。連綿と降り続く白い雨糸。
ずっと見ている。動かず見ている。時間も、考えることさえも忘れて見ている。するとやがて、それが空から落ちてきているのか、地面から立ち上っているのか分からなくなってくる。ふと湧く小さな思いなどは、いつの間にか雨に流され、雨音の中に吸い込まれて立消えてしまう。
後に残るのは、一層空虚になった心。生きていることすら忘れそうな空白。
雨に囚われて、まっしろになっているわたし。

つらいことも嫌なことも苦しいことも全部忘れて、雨と一緒。
ただそこにあるというだけの――

「何見てるんだ?」

ああ、と気が付く。わたしがわたしの中に引き戻される。

「何見てるんだ?」

顔を見上げると、同じことを訊いてくる。
あの人が。

「…雨」

へぇ、とあの人は腰をかがめて、一緒に空を見上げる。
わたしも空へ目を戻す。あの人の瞳は、良く晴れた冬の空の色。
けれど、今の空は暗い曇天。
まだ止まらない。雨、雨、雨――


でも、実は。何がつらい、で、何が苦しい、なのか分からない。
憂鬱――こころが重い。わけもなく胸が塞がって、息もできない。
願いはきっと叶わず、欲しい物はきっと手に入らない。
生きていても、いいことなんか起こりそうもない――
そんなにも憂鬱、どうしようもなく憂鬱なのに、どうしてそんなに憂鬱なのかがわからない。
わからない、のは、気持ちが悪い。気持ちが悪いのは、嫌。
嫌だから、忘れたい。
忘れたい、から、空を見る。わたしのこころのように重そうで、暗く濁った黒い空を。
止まない雨にこころを溶かして、わたしは空っぽになってしまいたい。


あの人が、頭を振りながら窓を離れる。

「…なんか、これって意味あるのか?」

「ううん」

「楽しいか?」

「全然」

楽しい、は、当てはまらない。
わたしのこころは、雨に差し出してしまったから。
楽しい、は、感じない。

「…もしかして…疲れてる?」

「…うん。すこし」

そっちは、きっと当てはまる。
そうでなければ、雨にこころは捕まらない。

「へぇ。…そっか」

なんだか少し困った顔は、きっと、今のわたしと少し似ている。
でも、わたしと違って雨なんかには捕まらない。
あの人はここから出て行ける。
いなくなる。

わたしはまた一人。



*   *   *   *   *



どれだけ経ったのだろう。
窓の外は何も変わらない。
わたしも何も変わらない。相変わらずの雨模様。
雨音は終わりのない子守唄のように、わたしを限りなくゆるやかな世界に呼び寄せる。
そこでは、わたし自身が雨。
この身体から抜け出して、その辺りにざぶざぶ降ってみる。
梢の上を流れてみる。土を泥に変えてみる。
意味のない戯れ――そう、なんの意味もない。
雨にも、影にも。わたしにも。まっしろなだけで、色もない。
隠れてしまえば、誰にも見えない。気付かれもしない。
ただそれだけの。

意味のない。
世界は、こんなにも暗いもの。

なのにどうして。あの人は足音にまで色が付いている。
近付いて来る。扉を開けて、ほら。やってくる。
嬉しそうに駆けて来る。どうして。

「レナ!今ここの宿の人からリンゴ……うわ!!」

ごろごろごろ。
転げたのはあの人。転がるのは紅い玉。
わたしの足にこつんと当たる。

「ご、ごめん!せっかくレナに…うわ、埃まみれになってるし!?」

急いで紅玉を拾うあの人は、わたしに何も言わせてくれない。

「ちょっと、水で洗ってくるから!」

嵐のように出て行く。
扉を閉める事も忘れて。
かけそびれた言葉「大丈夫?」だけが唇に残って空虚。
でも、きっと大したことじゃない。




外に向き直る。
どうしてだか、あの人がいる。走っている。
何より先に、見えてしまった。
雨に打たれながら、古い井戸に向かっている。手には小さな紅い玉。

ああ、とわたしは思う。
水ならそこに、ここに。いくらでもあるのに。
あなたは気付かない。
あなたは気付かないまま、あなたに降る全てを無駄なものにする。
意味のないものにする。

雨、は、わたし。その気持ち。

意味のないもの。その全て。
だからわたしは、見ているしかない。
何もかもが雨の向こう。

ゆっくり、ゆっくり、あの人は重い滑車を引く。
たった一つの小さなものを、あんなに大きな水桶ですすぐ。
大切そうに擦る。服の内側に仕舞いこむ。静かに笑う。
そうして、思い切りその水を撒く。ただでさえぬかるんだ大地に。
泥がはねあがる。服が汚れる。あの人は何も気にしない。
歩き出す。立ち止まる。濡れた前髪を掻き上げる。
水が落ちて、上向いて、目を閉じて。笑う。気持ち良さそうに。

――あんなに、気持ち良さそうに。

あの人は目を開けて、首を戻して、前を見て。
ちょっと瞬いて、もっと嬉しそうに笑った。大きく手を振った。

わたしは、目を瞬く。心臓が鼓動を思い出す。
手を上げかける。少し下げる。その手を小さく振った。
あの人が手を振りながら頷く。
信じられなくて、わたしは窓を開け放つ。刺すような冷気、滝の傍にいるような轟音が飛び込んでくる。
冷たい雨の中に身を乗り出すと、あの人はもうすぐそこに立っている。
呆れた顔もせず、優しくあの人は言う。

「風邪、引くぞ」

あの人が、ここにいるわたしを見つけた。



*   *   *   *   *



そしてわたしは取り戻した。
笑う、ということを。



*   *   *   *   *



あーあ、こんなに濡れちゃった、と自分から外に出て行ったあの人はテーブルの向こうで笑う。

「これで病気なんかになったら馬鹿だよな、俺」

わたしもテーブルの前で笑う。あの人がわたしを引っ張ってきた。
雨音が遠い。

「そうしたらわたし、看病する。わたしにだって責任あるもの」

わたしも微笑う。わたしはもう、そうすることができる。
おぼろげにでも、帰ってきたから。

「え、ほんと?それなら、ちょっとぐらい病気になってもいいかも…なんて」

笑い声。
暗い部屋の中に、小さなあかりが灯る。あの人がつけた、暖かい光。
あの人が、わたしを見つけて連れ帰ってくれた。
ここへ。

「俺、雨の日ってコレが好きなんだよ。朝から暗い部屋で、蝋燭一本で一日過ごす、って。なんか良くないか?いつもと違うっていうか、なんていうか。上手くいえないけど、楽しい感じ」

「そうね」

わたしは頷いて、目の前のリンゴを見る。
まだ濡れたままの丸いリンゴは蝋燭の灯りの前でキラキラ光っている。
色は、目の覚めるような紅。

「…綺麗ね」

「俺が、洗ったんだぞ。これ。食べるの、俺じゃないのに。だから、キレイなのは俺のこころ」

あの人が、得意気に強調する。
俺の、こころ。

「…だけど、やっぱ美味しそうだよな…」

リンゴが光を弾く。

「…あのさ。俺も食べたくなったから、半分コしよう!…って言ったら、怒る?」

わたしはくすりと笑って頷く。

「いいえ、怒りません。…どうぞ」

すぱっと二つに割られたリンゴは、紅の中に、白さを併せ持つ。
迸る香。夢のように甘くて、けれど少しだけ切ない。

涙が出てきそうなその味。

「…ん?…え?何?…もしかして腐ってたか!?」

思い出す。勝手に湧いて零れて落ちる、これが涙。

「ううん」

美味しいわねこれ、と言ってわたしは目を逸らした。
沈黙。
少し遠くなった窓の外。雨はまだ止まない。

「…ああ、そういえば昔、聞いた話だけど。雨の粒ってさ…」

ぼんやりと、あの人の声が聞こえる。

「世界中で<流されなかった>涙の数だけ降るんだって」

「…流され…なかった…?」

涙を拭いたわたしはハッと瞬く。
初めて聞いた言葉なのに、何故だか他人の言葉ではないような。
ぴったりとこころに当てはまる――もしかすると、自分で作り出す言葉以上に。

「うん、そう。多分…我慢した分の涙ってことだと思うんだけど。…いや、だからさ、俺が言いたいのは身体に悪いしつまり泣くのをいつでも我慢するなんてよーするに無理しなくても俺が」

「誰から聞いたの?」

きっと、その人は、その人のこころは。わたしのこころと少し似ている。
その人を知りたい。その人に訊きたい。
この憂鬱の正体は、何?

「え、誰…って?…うーん…」

あの人は考える。考えるふりをする。
本当は答えがわかっているのに、何か都合が悪い時の目。
あっちこっち彷徨って。逃げ道を探して。
けれど、最後には教えてくれる。

少し、恥ずかしそうに。

「…実は、死んだおふくろなんだけど…」





雨はまだまだ、止みそうにない。












>あとがき…らしき。

作文テーマは「レッツ・廃品リサイクル」!書きかけて→挫折して→放棄してあった没文から使えそうな単語や短文をメモ帳にデタラメに打ち付けて、それらが何か一つの流れになるよう祈りながら(要するに適当;)隙間を文章で埋めていったら…?あら不思議、こんなものができてしまいました。(←モトは買い物に行く話だったような)…我ながらなんていい加減な!それでも一応形にはなってしまって、書いた本人もちょっとびっくりです。よほど今回は運が良かったんでしょう…(遠い目)。本当に直感だけで進んでしまったため、密かに作業時間が最短かもしれないという悪っぷり…まぁその分、内容も薄いし短いんですが;;しかし隠れた目標が「脱・どーでもいい話をダラダラ長編にしちゃう癖」だったので、実は密かに目標達成♪

というわけで。いつものパターンのお話にいつも通りな終わり方…と見せかけて、実はステラ母さんがオチを持っていくのでした(笑)。
名付けて「ステラオチ」。(←そのまんま!)バツレナな流れの裏にドルステ(=『ドルガン×ステラ』の略。私の知ってる限り、一部で定着/笑)を入れてみよう…というあほな試みだったのですが、なんだか微妙にお笑いっぽくなってしまった模様。それとも、マ○コン(禁句)…?
やはり母は強かっ…た…?

そうそう、ファリスとガラフ(←実はこれ、世代交代前!)は宿屋のロビー?のような所で、降り込められて暇な他の泊り客達に混じってギャンブル中、特にファリスが一人勝ちし続けて…という謎の場面もあったのですが、会話文が楽しくてその案だけで一本独立できそうなほどに長くなってしまい、「これじゃまた長編化する…!」…と危機感が沸いてきたので全部やめてしまいました。二人が行方不明になっているのはそのせいです(^^;)…いつになったらパーティ全員活躍できるのやら。
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