あの日、君がいなくなった。

その時、俺は助けられなかった。

俺はまるっきり、無力なんだと思い知らされた。


そして―――無力な俺に、罰は下った。

あの日から、君の名前を呼べなくなった。
あの日から、君の夢を見れなくなった。

心の痛みが、怖くなった。
思い出すこと、忘れること――どちらも痛い。どちらも怖い。


名前を呼びたい。夢でいいからもう一度会いたい。・・・でも、心が痛むのは、嫌だ。



思い出すこと、忘れること・・・どっちが俺には恐ろしいのだろう・・・?

























:「虜囚の旅人」






















tree



いやに、寂しい光景だった。


黒々とした枝の間から覗く空は青く澄み、どこまでも高い。
肌に心地いい、秋の涼しい風。


一見、なんら寂しさを伝える要素はなさそうに見える。
それはわかる。

それでも、寂しくて仕方が無いのは何故なのだろう?

いや、それとも―――寂しいのは、俺か?



あの日から、何を見ても・・・何を聞いても寂しさを覚えるようになった。

あの日から、全てが儚く見えるようになった。

楽しいことは、時が経てば忘れてしまうと知ってしまった。
今となっては、一緒にいたことも、一緒に笑ったことも、何もかもが痛みとなって胸に迫ってくる。
心に突き刺さるようにして残るのは、痛み。――悲しい思い出。



君が好きだった街。
君が好きだった歌。
君が好きだった花。

君が笑った時の顔。――俺が好きだった笑顔。



優しかった。健気で、力は弱かったけど、心はきっと誰よりも強かった。
どんなに自分が辛い時も、笑ってみせた。人のために、自分が傷を負っていた。
彼女が見せる、全ての表情がかわいかった。
夕暮れ時に、ふと振り向いた顔が、綺麗だった。



―――好き、だった。



身分は全然違ったけど、俺はそんなこと気にしなかった。
気にしなくても済むくらい、君のことが好きだったんだ。
口には出せなかったけど、想いはいつか伝わると思い込んでた。




――俺は、馬鹿だ。





君が好きだったものは、全て守られた。
今では、何事も無かったかのように平和の下にある。
時が、その上を穏やかに過ぎていく。

俺の好きだったものは――守れなかった。
君は、いない。目の前で、闇にさらわれてしまった。
――あの時から、俺の時は止まってしまった。

どうして、助けてやれなかったのだろう・・・・・

何もできなかった。
手を伸ばしても、届かなかった。すぐそこにいたのに、どんどん離れていくのを止められなかった。
声は、届いていたのだろうか?ただひたすら、ひきずられていく君の名前を馬鹿みたいに呼びつづけた。

・・・そんなことで助けられるはずも無いのに。でも、俺にはそれが精一杯だった。


・・・なのにあの時、君は笑った。弱々しく、最後の力で。

俺達の心から、一生分の重荷を取り除くために。

そうして、君は自分の大事なものを守ったんだ。



――俺は、無力だった。



どう思った?何もできずにいた俺を。
さぞ、頼りなく見えただろう。
どうして助けてくれなかったのかと恨まれても俺は何も言えない。


人は・・・なんて弱いんだろうか。
君がいなくなって、俺は・・・すっかり駄目になってしまった。

罰が下ったんだ。

――君の名前が、呼べない。

どうしても、呼べない。心が痛むのが、怖いのかもしれない。
だって、俺はただの無力な臆病者にすぎないのだから。

今も、こうして一人で彷徨いつづけている――君と出逢うよりも前の頃のように。
できれば、痛みを知る前の自分に戻りたいのかもしれない。
でも、そうなるのが――忘れるのが怖いのも事実なんだ。

もう、一人で残される事の怖さを知ってしまった。
孤独は、もう俺の友じゃない。















お前が暗くしていると変だ、と言ったのはファリスだった。
笑って言いながら、こっそり泣いていた。泣きながら、怒っていた。
――妹を助けられなかった、自分に対して怒っていた。
・・・そして、彼女の分も頑張って国を守ってみせる、とそう言った。


暗くなってる場合じゃないでしょ、と言ったのはクルルだった。
ひょっとしたら次元の穴を通ってどこかに出てくるかもしれない、という。
ほとんど気休めにしかならないのではないかと思われるそれを自分で信じ込んで、毎日飛竜で飛び回っている。
――気休めでも構わないのだ、おそらくは。

クルルは、行動することで立ち直ろうとしているのだ。
ファリスも、妹の大事なものを守ることで立ち直ろうとしている。
それが、残された者の義務、去った者の願いだと知っているから。










でも、俺は・・・・・










・・・駄目だな、今もまたこうして君のことを想っている。





―――俺が寝過ごした時に、枕元で囁くように俺を呼んだ声。


―――初夏の新緑みたいに綺麗だった瞳。





何もかもが愛しく、そして懐かしい。


忘れられそうもない。立ち直れそうもない。――もう、元の自分には戻れない。

声を聞きたい。姿を見たい。――そんな資格が俺にはないのはわかってる。

それでも、駆け寄って抱きしめたい。強く、強く――そうしたら、もう離さないのに。















林を抜けると、広い草原に出た。
なだらかな起伏のところどころに雲の影が落ち、陽に照らされたまわりの緑の鮮やかさとのコントラストを描いている。
その遥か向こうに、緑色をした入道雲のような影がかすんで見えた。

――長老の樹。

ムーアの大森林に抱かれ、遥かな時を経て、世界を見守りつづける聖なる大木。

前にも幾度か訪れたことがある。――その時は、彼女も一緒だった。
そう思うと、たまらなく胸が痛む。

この一年というもの、君がいなくなってからは君との思い出に関わる場所は極力避けてきた。
一人で思い出に向き合うのは――辛すぎる。君がいないのを再確認するのは、辛すぎる。

できれば、あそこも避けて行きたい。

(・・・避けていこうか?)

そこまで思って、思わず苦笑してしまった。


――あれからたったの1年程で、俺はこんなにも弱く変わってしまったんだ。


いや・・・それとも。

弱かったのは、元から・・・なのか?

君がいて、俺が支えられていて――それで、それが自分の強さだと思い込んでただけなのか?

今更それに気付くなんて。



――本当に、俺は馬鹿だ・・・

















森から精一杯逸らした目に、ふと、平原に黄色い霞みのようなものが見えた。

なぜか、胸がドキンとした。

道を少し逸れてしまうのはわかっていたが、たまらず走り出した。


近づいてみると、やはりそれは黄色い花が一面に群生しているのだった。
陽光を浴びて、明るく輝いている黄色い花々が風に揺れている。
風が吹くたびに、当たり一面に柑橘系のような甘さを含んだ香りが広がった。


――君が、好きだった花。


自分が何をしているのかもわからない。
ただ、気が付くと一心に花に分け入っていた。
野生の花畑の真中辺りに寝転ぶと、視界が黄色に覆われた。甘い匂いがする。

誰もいない。
風の音しかしない。
目の前で揺れる黄色の間から覗いた空は、青かった。

ここに連れてきてやったら、さぞ喜ぶだろう。
誰が?それは、もちろん・・・



「レナ・・・」



口をついて出た、名前。
久しぶりに呼んだ。――やっぱり、胸が痛い。
自分の口から零れた言葉に、何故か視界がゆがんで溶けた。

目を閉じると、目尻から耳にかけて涙が流れていくのを感じる。

――こんなに、こんなに会いたいのに・・・
――ほら見ろよ、花だって・・・お前が好きな花だって、こんなにあるんだ。
――・・・帰ってこいよ・・・。










――泣いてるの・・・?











「・・・!?」

声が聞こえたような気がして慌てて頭を起こすと、少し離れた所に白い布のようなものが翻るのが見えた。
目の前がぼやけていて、それが服なんだとわかるのに時間がかかった。
真っ白な、なんの飾りも無いワンピース。秋桜色の髪が見えて、一瞬だけ心臓が止まる。
新緑の瞳が、心配そうに俺を見てる・・・。




(これは・・・夢か?)





「レナ・・・」

半身を起こし、動悸に喘ぐようにして呼びかけると、少しだけ微笑んだ。
彼女は、花に囲まれて立っていた。
髪も、服も、彼女を囲んで揺れる花々も、陽に照らされて眩しいぐらいに輝いている。

――まるで、この世の景色ではないみたいだ。

実際、彼女の唇は全然動いていないのに、声だけが聞こえた。









――綺麗だね。










「そうだな・・・」


夢見ごこちだった。――実際、これは夢なのだろう。

できることなら近づきたいが、夢なら、動かない方がいい。
動けば、夢が壊れてしまう。

一人ぼっちの現実に戻るのは嫌だった。

今は夢でもいい。
今だけは、こうして話していたい。


座ったままの肩に、花が揺れてあたる。


「この花が、レナは好きなんだよな・・・?」

彼女は、笑顔でこっくり頷いた。









――覚えていて、くれたの・・・?










「当然だろ」


それは自信があったから、そう答えたのに、レナは後ろを向いてしまった。
腕を後ろ手に組んでうつむく。









――忘れられてるのかと思った。










「そんなわけ・・・!」

ないだろ、といいかけて喉が詰まった。

本当に、自分は忘れようとしたことはなかったか?
昔の――誰とも出会わず、気楽だった頃の自分に戻りたいと考えたのは、誰だ?


二人の間を、風がサァーっと通った。









――あのね、逢った時のこと・・・覚えてる?









彼女は、唐突に話題を変えた。

「それは、もちろん・・・覚えてるさ。」

忘れるものか。

あの時から、――二人が出会ったあの時から、全てが始まったのだから。









――もういちど・・・逢いたいな









彼女はちょっと振り向いて、寂しげに笑った。









――・・・駄目?










「駄目な訳ない・・・俺だって、会いたいよ・・・」


声が、どうしようもなく震える。

責められているように感じた。
まるで、俺がレナのことを忘れてようとしているとでも言うように。
(そんなことはない、俺はいつだってレナのことを想ってたんだ)
まるで、もう会うことを望んでいないとでも言うかのように。
(そんなはずない、俺はいつだって会いたいと思ってた)

でも、だったらどうして、あんなに寂しそうに笑うんだ・・・――?

・・・はっきり言って、ショックだった。

ああやって、寂しそうにさせているのは、自分なのだ――。









――見つけてもらわないと・・・駄目なの。











「・・・見つける・・・・・?」











――逢った時みたいに・・・。私は・・・貴方が見つけてくれるまで、この世界のどこかで、きっと待ってる・・・









そこまで言うと、彼女は少し傾き始めた陽に向かって歩き出した。
歩きながら、足の先から消えてゆく。











――待ってるから・・・忘れないで











「おい!ちょっと、待・・・」

風がザァ――っと吹き付け、息が詰まるほど花の香りが強まった。

「―――レナ・・・!!」

慌てて立ち上がると、もう、・・・彼女はいなくなっていた。

彼女が消えた方角には、ムーアの森が――長老の樹がかすんで見えた。

呆然とする俺のまわりで、黄色い花が揺れていた。



















四半刻ほどもぼんやりしていただろうか?

なんとなく、俺は手近な花を次々に摘んでいた。
黄色い花。名前は忘れた。
ただ、彼女が――レナが好きな花だったということしか覚えていない。

いい香りがする。

気が付くと、かなりの量を摘んでいた。
一体どうしたかったというのだろう。花なんかこんなに摘んでも、かさばるだけなのに。
自分でも良く分からない。分からないが――捨てられない。

荷物の中から、細く裂いて包帯代わりに使う白い布を取り出した。
それで、花をぐるっと巻く。
荷物用のロープで布を結べば、――いくらか無愛想だが――花束になった。

(さて、これをどうするか――?)

それは、決まってる。









――待ってるから・・・









俺は、今からこいつを渡しに行くよ。
だから、・・・だから、待っててくれ。どこにいようと、俺は必ずお前を見つけるから。









――・・・バッツ









正直言って、忘れたがったこともあった。
記憶が、思い出が・・・苦しさしか与えてくれないと思ったこともある。









――・・・・・バッツ










でも、今は―――会いたいんだ。
会いたい。何があっても、会いたい。

もう、逃げない。忘れようとはしない。


だから、今度会ったら、その時は・・・・・。









――ありがとう・・・・・









空を見上げると、一瞬、レナの笑顔が見えた気がした。

笑い返して、歩き出す。

どこまでも広い平原。どこまでも広い世界。
世界は広い。
それでも、君がどこかにいると言うのなら俺は探そう。







片手には花束。

目の前にはムーアの森が見える。







この森にだって、君がいるのかもしれない。
そこの樹の陰、茂みの裏側・・・どこにだって隠れられるだろう。
そうして、俺が見つけるのを待ってる?いたずらっぽくくすくす笑いながら?

そう思えば、思い出の地もなんら怖く無い。




そっと森の入り口に近づく。
木々の間から陽が漏れ、斑に大地をあたたかく照らしていた。


―――大丈夫だ。


思い出は、俺を拒絶していない。



手に持った花束を胸に抱え、そして。




―――俺は、精一杯胸を張って思い出の森に入り込んだのだった。





























<あとがき>


「レナが死んじゃったエンディング」です。私の中では平気でこんな風な脚色が行われてしまうんですね(苦笑)。書いてて楽しかったです。やっぱりバッツはレナにべた惚れでいて欲しいのでこんなノリに。でもそれもまた楽しかったり・・・恥ずかしかったけど(笑)それに一人称で書こうとしたら変になっちゃったけど・・・(汗)大体バッツが「君」なんて言うかな・・・(←他に思いつかなかった・・・今にして思えば「お前」とかもありだったかなぁ・・・)しかも変なところで終わってるし(笑)。ここからがいい所なのに・・・(笑)。
それにしても、私の本質ってシリアスかも知れない・・・とか思う今日この頃。この話なんて笑いが全然ないし・・・読むのだったらギャグなんか大好きなのに。・・・でもシリアスの方が書くのが早かったりするのは何でなんだろう?とか考えると、やっぱりそういう結論に達します。いや、だからなんだとか言われると困るんですけどね・・・。」

写真について。
最初の方に出てくる写真はホームページビルダーについていた素材なんです。あんまりにもイメージ通りの写真が入っていたので思わず使ってしまいました。本当は自分で撮った写真でもあると良かったんですけど・・・。




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