5.逆回りする時計


夕日に濃い影が伸びる頃。
疲労と安堵の色を浮かべた人々が石畳の通りをゆるゆると流れ、街に今日最後の活気を穏やかに作り出している。吐く息は白く、厚着した背は一様に丸まっていたが、彼らは一様に幸せだった。
今日も恙なく終わった仕事。恙なく終わるであろう一日。彼らはいつものように大きな安心感とほんの僅かな退屈さを抱えながら、いつものように帰宅するところなのだった。家に帰れば幼い子供たちが、年老いた親が、或いは見飽きるほどに馴染んだ連れの顔があって、あたたかい暖炉の前で、自分の帰りを待っている――それが幸せでないのなら、幸せとは何だろう? 安らぎの我が家。退屈で平和な、日常の日々。それは少しも変わらない。思い出せる限りの昔から、数えるのも嫌になるほど先の日まで、いつまでもいつまでも終わらない、人としての、ささやかでいじらしい祈りの文化。
生活。
それがある限り、誰がどこへ行っても暮らしに大差はないのだった。海が近いか山が近いか、或いは夏暑いか冬が厳しいか、その程度の違いはあるけれども、基本的なことは何も変わらない。平凡な昨日から平凡な明日へ、その橋渡しとなる今日という日を平凡に乗り切れるということ。そのための祈り。この世界に人として生まれた限り、それは死ぬまで変わらないし終わることもない、痛みもないし爆発するような輝きに出会うことも無い。生きることとは、ただ繰り返すこと――


『……その指触れる唇の
熱持ち紅きと言うならば
即ち、其が我が恋なれる
我が胸 手置き思し召せ』


行きかう人々の幾人かがふと足を止め、顔を上げた。喧騒の合間を縫うように、切れ切れながらも竪琴の音が流れてくる。それに乗って流れてくる、切ない旋律と歌声に胸をちくりと刺され、彼らは辺りを見回した。夕日に染み入るような、あの声の持ち主はどこだろう? 顔を回して、歌の出所を探ると――ああ、いた。今日はもう畳まれた市場通りの隅に、竪琴を持った若い娘が一人。質素だがどこか優美な線の装束から、様々な街を流れ歩く吟遊詩人に違いないと人々は判断した。見慣れない顔だから、どこかから流れてきたばかりなのだろう。娘は壁際の目立たない位置に立ち、そのどこか少女めいた顔を遠慮がちに伏せながら、大胆な恋の歌を口ずさんでいる。物珍しさに一人が立ち寄れば、二人、三人と続いて、すぐに取り巻きの輪ができた。


『泡と消えるも幸なれば
掻き乱れるも望みなり
唯いま一つ望むなら
心を直に触れて欲し

距離をも越えるその腕を
伸ばして我に触れて欲し……』


ぽろん、ぽろん、と竪琴が歌う。
胸を締め付ける心地良い痛みに陶然としていた人々は、曲が終わると目が覚めたように熱烈な拍手を送った。ぺこりと頭を下げる歌い手に、誰かがもう一曲、とねだる声を上げる。すぐに幾つか続く同じような声にただ一礼で応えると、娘は竪琴を抱えなおし、また別の歌を歌い始めた。今度は曲調も明るく、内容も悲しい恋の歌ではない。美しい森の奥に住んでいた小鳥が翼を広げ、初めて見た世界の広さ、空の青さ、飛ぶことの素晴らしさを喜びをもって歌い上げる――聞いているだけで心が弾むようなテンポ、吹き抜ける風を思わせる疾走感に、観客は笑顔に自然と手拍子を交えて積極的に参加した。間奏の合間に口笛を吹く者もいる。やがてまた曲が終わり、娘が一礼すると、また誰かが次を望んだ。恋の歌を、という要望に一同は拍手で賛同した。楽しい歌はもちろん好きだが、人生で恋に勝る楽しみと興味は他にない。
辺りは既に暗くなり始めている。娘は思案するように首を傾げていたが、それでは最後に――と、初めて詩以外の言葉を口にして竪琴を構えた。


気付いてくれる日は来るのかしら
私でも恋に落ちることはあるのだと

本当にわかっていないのかしら
貴方しか見えない人がいるというのに

私は気付いてしまったわ
私は知ってしまったの

気付いてくれる日はきっと来ない
それでも、私は貴方だけのもの

ああ、今日も青い空色
私の心は、貴方だけのもの


娘が四度目の礼をして、それでこのささやかな宴は終わりだった。
既に日は暮れて辺りは暗くなっていたが、熱に浮いたような人々は熱烈な拍手を送った。拍手と共に、銅貨を輪の中心に投げ込む者もいる。銀貨を投げ込む太っ腹な観客もいた。娘は竪琴を胸に抱き締め、周囲に何度も頭を下げる。やがて拍手がまばらになり、取り巻きがそれぞれ満足な顔をして最後の一人まで帰ってしまうと、通りはいくらも経たない内にさっきまでの喧騒が嘘のように、しんとして寂しい場所になった。足元に落ちた貨幣を拾い集め、一人残された娘が顔を上げる。その目に、向かいの斜面に並ぶ家々の灯りが滲むように映った。灯りを見つめたまま息を吸い、ゆるゆると長く吐き出すと、白いもやとなって細く登っていく。頭を振る。一日だけの興行を終えた詩人は今日の収入をくるんだ布と竪琴を胸に抱えて立ち上がり、やがて静かに闇へと消えていった。





「いやだから俺が言ってるのはだなぁ…――あ、レナ」

「おっ、おかえり」

「おかえりー!」

街の一角に立つ宿の一室。ドアを開けた途端にあたたかい空気と言葉に迎えられ、レナは思わず破顔した。

「……ただいま」

「あ、お姉ちゃん、ドア閉めて閉めて。あったかいのが逃げちゃう」

「あ、ごめんなさい」

言っているうちにクルルが駆け寄ってきて、背後のドアをパタンと閉める。一仕事終えたような顔で見えない汗を拭いながら、

「ふー、これで良し」

皆と一緒に笑いながら、レナは部屋を横切った。設えられた、小さいながらも立派な作りの暖炉の前にしゃがみこみ、赤々と燃え上がる火に手をかざす。かじかんだ指先がほぐれていくくすぐったい感覚に、思わず指を曲げ伸ばしする。

「……ふふ、あったかーい」

「ああ、今日は急に冷えたからな」

気付いたように、ファリスが振り向いて言う。何か飲んでいたらしい。手にグラスを持ち、座っている椅子を傾けて片足をテーブルに上げた、あまり行儀の良くない姿勢のまま、

「しょうがない、今日だけ特別だってんで宿の方が格安で売ってくれたんだよ。薪一束で3ギル。安いよな。火は魔法で勝手に入れられるから、そっちの方はタダだったし」

「でもさぁ、それで浮いたお金でお酒飲んでるんだったら意味ないよねー」

からかう様に言ってクルルが笑う。またお酒飲んでるの、と目を丸くするレナに慌てたのか、ファリスは「告げ口すんなよ、クルル」と肘で突こうとし、あっさりかわされて舌打ちした。

「……後で絶対、デコ弾きの刑だ」

「へーんだ。酔っ払いのアタックかわすのなんか簡単だもーん」

「言ったな……?」

ニヤリと細い笑みを端正な顔に張り付かせて、ファリスが立ち上がる。

「言っとくけど、俺があれしきの酒で酔うなんて思ったら大間違いだぜ……?」

「キャー、デコ弾きされるぅ!」

楽しそうに声を上げるクルルと、それを捕まえようとするファリスが部屋の中央を駆け回る。止めるタイミングを失って呆然とそれを見ていたレナはふと瞬きし、二人を越えて部屋の反対側に目をやった。ファリスの座っていた席の向かいで、同じく呆然としているバッツと目が合う。彼は二、三度瞬きし、我に返ったように微笑んだ。

「……どうだった? 街は」

キャー、と甲高い声が二人の間を駆け抜ける。
レナはベッドに腰掛け、微笑した。何気なく伸ばした指先が、置いてあった竪琴の弦に触れる。

「楽しかったわ。あのね、あまり人がいなかったから、思い切って市場で……」

待てコラ、と叫ぶ声が遮る。どすんどすんと足音。

「……今、わたしクリスタルに吟遊詩人の力を借りてるでしょう? ちょっとこれからの練習のつもりで歌ってたんだけど、気付いたら聞いてくれてるお客さんがたくさん集まってて、それで」

キャー。待てー。どすんどすんどすん。

「皆、一生懸命聞いてくれて。本当の吟遊詩人にするみたいに、お金を投げてくれる人もいて――ほら、これ」

「うわ、すごいな、これだけでここの宿代二日分ぐらいにはなるんじゃないか?」

「いい人たちよね。でも、なんだか悪い感じもするの。わたし、本当の吟遊詩人じゃないのに……」

キャー。

「そんなのは関係ないって。皆、レナの歌を聞いて良かったって思ったから、払ったんだろ? 代金ってのはお礼の代わりなんだから、受け取っておけばいいんだよ」

「そう…なのかな……」

待てー。

「うん、そうさ。……それにしても、どんな歌、歌ったんだ? よっぽど上手かったんだろうな……俺もこっそり聴きに行けば良かったかな」

「え? あ、ダメダメ! やめてやめて! ダメよ、知ってる人なんかいたら、恥ずかしくて……」

「え、恥ずかしい歌? なのか?」

「違うわよ、歌が恥ずかしいんじゃなくて、……ああ、どう言えばいいのかしら」

「そういうこと言われると、余計に気になるんだけど」

「恥ずかしい歌じゃなくて……いやあの、もう気にしなくて、いいです……から」

「うーん気になる。気になってしょうがない。よーし、今度レナが歌の練習をする時は何を言われてもついて行こう、っと」

「えええ! やめてやめて! そんなこと言われたら練習できなくなっちゃう!」

「いやいやもう遅いよ何しろ決めちゃったからなっハッハッハッハ――あ、痛!」

バッツは殴られた頭を押さえて、右拳を固めたまま背後から見下ろすファリスに恨めしげな目を向けた。

「痛ってーなー。何するんだよ、急に」

「――レナの保護者として忠告する」

「あはは、殴られたー」

左腕に首を絞められるような姿勢で捕まったまま、クルルが能天気に笑っている。
その額を傍目から見ても力いっぱい弾いて黙らせると、冷たく見下ろす視線のまま、ファリスが厳かに告げた。

「……レナを困らせる奴には、拳固一発」

「誰が保護者だよ。っつーか、どこの法律の第何条だよそれ……」

呆れた顔で頭を擦るバッツに、ファリスの声はしれっと答えた。

「タイクーンのサリサ様憲法・第一条だが」

「聞いたこともねぇ。いつ出来たんだそんなもん」

「たった今。ついでに言うとファリス様海賊団憲章もほとんど同じ内容だから」

「世界に名立たる悪法だな。……ったく、なんだかんだでタイクーンももうおしまいか、って痛! 痛!」

「あはははー、バッツったらまた殴られて……うっ。ファリスぅ、そんな何回もデコ弾きしないでよ。おでこ痛いよー。もう、仕返ししちゃうよー? 本当にしちゃうよー? しちゃうって言ったらしちゃうんだからえーい!!」

「って、そこでどうしてファリスじゃなくて俺を殴るんだ!?」

「それはもう、なんとなく」

和やかに戯れる仲間たちをにこやかに眺めながら、ふと胸に湧いてきた何かに気付いてレナは目を閉じた。むくむくと膨らんでいく、大きくてあたたかな、何か。気持ち。

(なんだろう……楽しい、嬉しい、……弾んで、伸びて……明るい。大好き)

今のレナにはわかっていた。どこかからやってくるこれは、歌だ。膨らむうちに次々と唇に登らせていかなければ、やがてどこかへ消えてしまう。そして同じものは二度とは訪れない。
指を伸ばす。竪琴は――ここにある。浮かんでくる旋律と言葉を今の気持ちに沿って練り合わせ、削り、見えかけた一つの曖昧な形を掴み、そこで軽く息を整え。
竪琴の最初の音を弾くと、互いの顔面を引っ張り合っていた三人が驚いたように動きを止めた。
一様にきょとんとした顔の、三人の観客たちを意識の隅に感じながら微笑んで。
唇から、歌が滑り出す――



――古の勇者たちの力を借りるとはどういうことなのだろうと、考えることがある。
例えば、吟遊詩人の力を借りる場合。旋律を生む技術や詞を組み立てる技術、発音や発声の技術、それに詩人としての自然な勘――これらはクリスタルの欠片を通して古の達人から一時的に受け取る、借り物の才能に過ぎない。基本的な知識や必要な所作が、まるで初めから自分にあったもののように備わる――しかしこれは、考えようによっては恐ろしいことだった。あまりその力に長く馴染んでしまうと、それが自分の判断なのか他人の導きなのか分からなくなってくることがある。逆に、力を解除してただの自分に戻った途端に、それまで当然のように行っていたことが出来なくなって、酷く自分が無力な存在になったような錯覚に陥ることもある。けれど歌に込められる想いは自分だけのものだし、歌う詩にしても自分の知らない言い回しや言葉を使うことはない――つまり自分の経験だけを材料に出来ている。だから、出来上がった歌そのものは自分だけのものである――はずなのだが、しかし過去からの導き無しではそれが完成しなかったであろうことも確実で。
だから。

「……どういう人だったのかしら」

ベッドに腰掛けたままレナが呟くと、枕に置いたばかりの頭をわざわざもたげて隣のベッドのバッツが聞き返した。

「……誰が?」

「今わたしに力を貸してくれてる、千年前の詩人さん」

手の中で、透明な欠片が微かな灯りを浴びて鋭く煌いている。
それを持ち上げ、透かすように覗き込んで。

「男の人なのかしら、女の人なのかしら。年齢は……どのぐらいなのかしら」

「どうしたんだよ、急に」

「ちょっと、気になって」

「なになに、どーしたのー?」

部屋の隅の衝立の向こうから、寝間着に着替えたクルルが笑顔で飛び出してくる。斜め向かいのベッドに腰掛けたファリスは、元より無言でこちらを見ていた。見合わせた四人共に、宿にこれまた格安で売ってもらった湯の名残りで顔は上気し、髪の先も微かに濡れている。レナが同じ話を繰り返すと、クルルは腕組みし、いかにも難しい問題に突き当たったとでもいうような顔をして見せた。

「うーん、どうなんだろ……考えたこともなかったけど、結構大事なことだよねそれって。あたしたち、誰の力を借りてるんだろう……」

「誰でもいいさ。世界のために力を貸してくれるんだ、悪い奴らじゃないだろ」

気楽に言ってみせたのはバッツで、それを遮るように口を開いたのはファリスだった。

「それで。レナは、今の吟遊詩人についてどう思ってる?」

「わたしも、よくわからないんだけど……」

首を傾げたまま、レナはぽつりと言った。

「なんとなく……男の人じゃないかな、って……」

「えー、なんでなんで? なんでそう思ったの?」

ベッドに飛び込んで頬杖を突いたクルルが目を輝かせる。

「その人に全部任せるとね、なんだか、表現が大袈裟……というか、熱いの。男らしいというか、そうね。もの凄く潔い感じ。ちょっと普通は恥ずかしくて言えないことを、わざとたくさん言わされたり。時々ね、少しだけ自分で手を入れて作るものがあるんだけど、なんだか少ーし違うかな、って」

「ふーん?」

あまりわかっていなさそうな口ぶりで首を傾げ、数秒置いてから、またクルルがぱっと顔を上げた。輝いている。

「さっきのお姉ちゃんの歌、良かったよねえ。楽しくてあったかくて、全然悲しくないのに、なんでか泣きそうになっちゃった」

「確かに。あれを聞いて料金を払わない通行人がいたら、殴っていいよな」

爽やかな笑顔で不穏な褒め方をする姉に困ったような笑顔で応えつつ、レナは遠慮がちに横を見た。
同じく二つの無言の視線に晒され、それまで黙って天井を見上げていたバッツが慌てたように飛び起きる。何かを探すように部屋を彷徨った視線がすぐ隣にレナを見つけ、ホッとしたように細められた。

「あ、……ああ、いい歌だったよ。うん」

「……ありがとう」

「ただ、その、ちょっと気になったというか……あのさ、歌に出てきた『愉快なチョコボさん』って、もしかして俺のこと?」

「え」

「ほほーぅ」

絶句したままみるみる赤くなるレナの顔に向けて、ファリスがニヤリと笑う。

「と、すると、そのチョコボを踏みつけにする誇り高い青竜ってのは俺のことか。なかなかいいじゃないか」

「じゃあ二人の足元を駆け回る可愛い子犬って、あたしのことだよね!」

クルルが興奮して叫ぶ。レナは真っ赤になった顔を覆った。慰めようとレナの肩に伸ばされかけたバッツの手が、殺意すら感じさせるファリスの冷視に刺され、行き場を失って宙で揺れる。

「――あ、はいはい! 聞いて! あたし今、すっごくいいこと考えちゃった!」

ベッドの上でポンポン跳ねながら勢い良く挙手するクルルに、ファリスが鷹揚に頷いてみせた。

「発言を許す」

「ありがとうございまーす。あのね、今度はみーんなで、吟遊詩人をやろうよ! 竪琴以外にも笛とか太鼓とか色んな楽器持ってさ、街角で合奏したり合唱したり、きっと楽しいと思うの!」

「お前なあ……」

浮いた手を誤魔化すように頭を掻きながら、バッツが苦笑する。

「なんかそれって力を借りる相手にしてみれば失礼とか罰当たり……ていうか、俺たちの目的から逸れてる気がしないか?」

「えー、大丈夫でしょ」

跳ねるのを止め、さも意外なことを聞いたという顔でクルルが言う。
さも当然のことのように、ファリスがクルルの肩を持った。ニヤリと笑って。

「……通りすがりの皆様を楽しませるってのも、世界を救う光の戦士の仕事としてアリなんじゃないか? クリスタルの中の奴らだって喜んで力を貸してくれると思うぜ。それに、一日の中のちょっとの時間だけだろ? 問題ないって。何て言ったって楽しそうだしな」

「お前、自分がやりたいからって言ってるんじゃないよな……?」

半眼で尋ねても、意味ありげな笑顔が返ってくるばかりで肝心の返事がない。バッツはため息をつき、横を向いた。こうなったら味方になってくれそうなのは一人しかいない。たった一人、とはいえ幸いなことに暴走しがちなこの二人を鎮められる、恐らくはたった一人の人間でもある。
レナは相変わらず顔を隠したままだったが、肩が小さく震えている。何やら込み上げてくる笑いと一人で戦っているらしい。

「レナ、なんとか言ってやってくれよ。こいつら俺の言うことなんか全然聞きやしない」

「いいじゃない、やりましょうよ」

パッと顔を上げて、レナが明るい声で言う。笑っている。

「すっごく楽しそう」

「わーい、さっすがお姉ちゃん! わかってるーぅ」

クルルが一際大きく歓声を上げ、ファリスが嘲笑うように鼻を鳴らして見下す目をする。もちろん、予想外の展開に絶句しているバッツに対する嫌がらせ以外の何者でもない。

「じゃあ楽器の担当を決めようよ!」

「そうね」

「あたし、縦笛ぐらいなら吹けるよ?」

「……あんなの誰でも吹けるだろう」

「えー、そうかなあ? 結構難しくない? 指遣いとか」

「俺なら笛でもリュートでも打楽器でもだけどな」

「わぁ。姉さん、すごーい!」

「器用すぎじゃない!? なんかズルイそれ!!」

ガヤガヤと。
一箇所に集まって騒ぐ三人を、実際以上に遠い場所から眺めるような気分で――

(……ああ、そっか)

ふと、思いついて瞬く。

(千年前の戦士たちっていうのも、俺たちと同じ、人間だったんだ)

笑って泣いて、怒って傷付いて。死ぬまで精一杯、生きていくだけ。
――そうだ。

(案外、奴らだってこういう普通なことしてたのかもな……)

うんうんと頷き、あたたかい気持ちになって顔を上げ。

「……あれ? 結局、俺だけ仲間外れ……?」

苦笑交じりに発した呟きはかしましい声にあっさりかき消され、彼は一人寂しく毛布をかぶった。





それから暫く後。
ある海辺の街に旅の小楽団が流れてきたという。担当の笛だけでなく達者な踊りまで披露して人目を引く元気な少女、清楚な歌姫の澄んだ歌声や、次々と楽器を持ち替える器用な伴奏者の中性的な魅力が評判を呼び、その傍らにじっと立つ、何故か疲れた様子の太鼓持ちの青年が抱える袋はあっという間に硬貨で埋まった。この場に居合わせることのできた人々は己の幸運を噛み締めながら拍手と賛辞を惜しまず、彼らのたった一日限りの興行は長くその地方の人々の心に残ることになったという。特に歌姫の残したひとつの恋歌は「空色恋歌」と呼ばれて歌い継がれ、今でも酒場の定番曲の一つとなっている。

街から姿を消した彼らがその後どこへ向かったのかは、定かではない。


――世界が大いなる厄災から救われる、一月前のことである。





△BACK△
予定より長くなりすぎて、途中で何を書きたかったんだかわからなくなりました……
ここまで読んでいただいてありがとうございました。



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