3.悲しくないと言い張ってみる 暗い空間の中心に、ふわりと白い光球が現れた。 それに照らされて浮かび上がった姿は、6つ。均等に間を空け、その場に浮かぶ明かりを囲むように向き合っている。それぞれ似ても似つかない様々な姿を持ち、言葉ではなく低い唸り声、シューシューと微かな蒸気に似た音、転がる鈴の声音で意思を交わす『彼ら』は、人間ではない。むしろそんなちっぽけでつまらない小さなモノとは対極の存在である、と『彼ら』自身はそう自負している。実際『彼ら』の記憶の中ではそういうものだったし、今でも、いつまでもそのはずだったのだが。 シューシューと訴える呼吸音に、リリリリ、と答える鈴の音。それに対してかぶりを振る者、動かないもの。 彼らはひどく苛立っていた。千年もの間、彼らは自らを万物の王と自認して来たのだ。今は故あってこの狭い世界に閉じこもってはいるが、永遠にそうしているつもりはない。いつかここから出て行き、またあの広い世界をこの手に下すのだ――ずっとずっとそれだけを、半ば意地のように支えとしてやってきた。 ところが。 昨今、突如としてその立場が脅かされ始めたのだ。まずやって来たのは自らを「覇王」と称する生きた青白い甲冑だった。そいつは(なんとも屈辱的なことに)その誰も及ばない強大な魔力を以って自分たちを容易く打ち伏せると、服従を誓わせておいてどこかへ行ってしまった。今では時折使者を通じてこまごまとした指令が下されるのみで、姿を見せることもしない。そのくせどうやってか監視はしているらしく、こちらの手抜きは全て見抜き、一切許さないというのだからなんとも始末が悪い。 しかし「覇王」は、少なくとも自分たちに近い存在ではあった。だから、そんなものは厄介とはいってもまだまだ可愛いものかもしれない。最も厄介な問題、それは意外なところから現れた、なんとも意外な伏兵―― 遥かに下等な生物、人間だったのだから。 今度意思を発したのは、さらさらと葉擦れのような軽い音をたてる何かだった。それにまたリリリリ、と鈴が答え、シューと何者かが唸る。今にも張り詰めた何かが爆発しそうな、そんな空気だった。その意思を、言葉として人間風に訳してみると―― 「…なんかねぇ、また湧いてたみたいよぉ。嫌んなっちゃうよねぇ」 そう言ってクスリと笑ったものは、床に腹ばいになり頬杖をついた少女の姿をしていた。腰まで届く長い髪は碧く艶めき、衣服の代わりに金鎖や宝石をまとわせただけの肌は青白く美しい。しかし本来人間ならば耳があるべき場所から、翼のようなものが長く突き出ている。それは彼女が人間ではなく、魔に属する者という証だった。 「地下牢…か?」 いかにも冷ややかに降ってくる低い女の声に、『彼女』カロフィステリはニコリと笑いかけた。 「うん、そぉ。二匹か三匹だって。フィスティも一匹見ちゃったのぉ…気持ち悪いから、とぉーくから、だけどねッ」 「それは深刻ですなあ。思った以上に侵入が早い」 言葉ほど深刻でもなさそうなしわがれ声が割って入る。 人間で言えば最上位の貴族の用いるような、たっぷりとした袖に広い襟布。深い紅の衣装を身にまとった『彼』は一見人間の文官風だったが、左右のこめかみから伸びる一対の角と固い灰色の肌がそれを否定していた。『彼』アポカリョープスもまた、人間ではない。 「1匹見かけたら30匹などと言いますからなぁ。一体いま地下牢全体で何匹いることやら…」 「全く…カタストロフィ。なんのためにお前をあそこに置いていると思っているのだ?」 再び、叱責するように発言した低い女の声、この持ち主も当然、人間のいわゆる「女」とは違う。 細く締まった四肢、流れるような身体の線を強調するような紫の衣装。先の尖ったブーツも、指先まで覆う長い手袋もまた紫で、竜頭を象ったこれまた紫の仮面の下半分からわずかに覗く細い顎だけが闇に白い。 一方、『彼女』つまり城主ハリカルナッソスに仮面の下から睨まれた相手は、人型さえしていない。皺の寄った黒い皮とも樹皮とも見えるそれは、長い間地中に忘れられて腐りながらも根の生えた巨大な球根に似ていた。ただ一箇所、人間をそのまま飲み込めてしまいそうなほど巨大な眼が一つある他には。カタストロフィと呼ばれたそれは、反省の意を示すためだろう、その巨大な一つ目を伏せて巨大な身体をぷるぷると揺らした。同時に床が細かく振動を始め、埃が舞い、悲鳴のような軋み音と共に部屋が大きく揺れ―― 「もう良い。やめろ」 城主ハリカルナッソスが気だるく手を振ると、カタストロフィはぴたりと身震いをやめた。同時に部屋の揺れも、微かに後を引きながらも徐々に収まっていく。心の中で一つため息をついて、ハリカルナッソスは尊大に場を見渡した。 「…と、そういうわけだ。こいつは番としてやり損ねた…が、このまま放っておくわけにはいくまい。改めて、退治に行ってくれる者を出さねばな。誰か、おらぬか?」 答えるものはいない。 「…ならば、ここは公平にクジで行くとしようか」 「えぇとぉ、…フィスティはパスさせてぇ」 慌てて手を上げたカロフィステリが、ぺろっと舌を出した。 「だぁってあいつら、気持ち悪いんだもん。退治っていうかぁ、見るだけでも駄目ぇ」 「お前、わがまま言うなよ」 横から諌めるように、あるいは呆れたように口を出したのは、牛に似た姿の巨大な怪物だった。 「みんな嫌なんだよ。嫌だけど誰かが我慢しなくちゃいけねえんだよ。クジなんだし。クジってのは公平なもんだし。こーゆー時に我侭言っちゃいけねえだろうよ。それがマナーってもんだろうよ」 すぐ隣に立った怪物の意見に、一見少女のようなカロフィステリがぷぅと頬を膨らませて見上げる。 「はぁ?なに?意味わかんないしぃ。アパンダちゃんのくせに説教なんてぇナマイキぃ」 「『ちゃん』って言うな! あとすぐ『意味わかんない』とか言うの禁止! 少しは自分の頭で考える!」 「うっわぁムカツクぅ! アパンダちゃんてばフィスティより弱いくせにムカツクぅ!」 「よ、弱いとか言うなあ! 本当のこと言われると傷付くだろお!」 「だって弱点、火だってバぁレバレなんだもぉん。弱点あるんだったら、せめてメリュ姐さんみたいに好き勝手に変えられるようにしなきゃぁ」 「ううううう…」 「やーいやーい最弱ぅ。フィスティの枕ぁ、本の栞ぃ」 「うううううううう…」 床にくずおれて静かに涙を流し始めたアパンダの巨体をちらりと見やって、ハリカルナッソスは咳払いした。 「…あー、それでは誰かクジを作ってくれるか」 「それならば私が」 「いや、クジならばここに」 笑顔で進み出ようとしたアポカリョープスを制して前に出たのは、腕を組んだまま真顔で成り行きを見守っていた最後の『一人』、引き締まった褐色の身体に、蝙蝠に似た翼を持った「男」に似た姿――ネクロフォビアだった。手に数本の紙縒りを握っている。行き場をなくした笑顔のまま、アポカリョープスがネクロフォビアの顔を覗き込む。 「はて。随分と用意のいいことですな? まるでこうなることがわかってでもいたような…」 「何を言っている」 全く無頓着、というよりは内容に含まれた棘に気付きもしない風に、ネクロフォビアは淡々と聞き返した。 「クジ作りは趣味だ。いつも持ち歩いていて何が悪い?」 場内が静まり返る。カロフィステリが引き気味に「…うわ」と呟いた声が響いた。 「……なんでまたぁ、そんな趣味ぃ? …っていうか、悪趣味?」 「こんな小さな人為的『偶然』でも、一つの運命に作用する時に見せる、『必然』を上回る破壊力は素晴らしい…――確率とは芸術だと思わないか」 誰も答えない。 一拍間を空けた後、アポカリョープスがすいと引き下がった。笑顔のまま。 「…そうですか。それは…素晴らしい。しばし思考の迷宮を彷徨わせていただきましたよ。ええ。貴方のことを見くびっていたようで。大変、失礼致しました」 「話は良いか」 いい加減飽きてきたハリカルナッソスは適当に打ち切らせると、ネクロフォビアの手から、城主らしく率先して紙縒りを一本引いた。 「…無色。外れだな」 内心ほっとしながら、勿論城主としてそんな表情はおくびにも出さず、ハリカルナッソスは真顔で場を見渡した。威圧的に目で促され、アパンダがしぶしぶ続く。 「えーと…えいや!」 無色。 「…おっ。よし。俺様も外れだ。おい、お前も引けよ」 「ええー」 「ビビんなよ。所詮六分の一の確率だろ?」 「あぁんもぉ、しょぉがないなぁ……はい」 無色。 「あ、外れだ!やたっ!」 「ハッハッハ、ほーらな、騒ぐことなかっただろ?」 はしゃぐカロフィステリの横を、音もなくカタストロフィの黒い触手が通り過ぎる。触手はしばらく迷うように宙で揺れていたが、するりと一本に巻きついて引き上げた。 無色。 「…と、言うことは…」 呟いたアポカリョープスに視線が集まる。残り二本。 『彼』が引くのか、それとも最後までネクロフォビアの手に残るのか。これで決まる。 「こっちか…それとも、こっちなのか…ええい!」 迷っていた手が、一瞬にして決意を固め、勢い良く一本を掴み上げ、そして。 先が赤く染められた紙縒りを握ったまま、アポカリョープスはがくりと床にひれ伏した。 ネクロフォビアが手を開き、残った一本を無表情で確認する。当然、そちらは無色。 「……何かの間違い……いや、陰謀だ、これは奴の陰謀……」 「あははぁ、リョプたんの負けぇ!」 カロフィステリの笑い声に、ハリカルナッソスの声が冷たく重なる。 「それでは。頼むぞ、アポカリョープス。我が次元城の誇る知恵袋よ。地下牢に赴き、発生した害虫・アルテ ロイテどもを一掃せよ」 「ハリカルナッソス様――」 「全て終わるまでは戻るな。以上」 ハリカルナッソスが手を振ると、アポカリョープスはどことなく哀れを誘う上目遣いの残像を残して唐突に消えた。 「…行っちゃったねぇ。ちゃんとお仕事するといいけど」 くすくす笑いながらカロフィステリが肩をすくめる。 「ほんと、アルテ ロイテが苦手なのよねぇ、あのひと。前もこうして退治に行ったら帰ってこなくて、見に行ったら自分から隅の牢屋に閉じこもってたんだよねぇ。通路を走り回るあいつらを見てガタガタ震えてたんだっけぇ?」 「潔癖症だからなあ、あいつ…」 どことなく同情の色を浮かべてアパンダが呟く。とはいえ勿論、当番を代わってやるつもりはないらしい。 「地下牢はただでさえ埃だらけなのに、あのアルテ ロイテどもときたら……あの、ひどい臭い!」 「しかもぉ、人間の年寄りにそっくりなんだよねぇ。しわしわしてて気持ち悪ぅーい。なんであんな風に進化しようと思ったんだろ」 「ほんと、勘弁して欲しいよな。正直あーゆー細かいのがウジャウジャしてるの、駄目なんだよ。見てると気持ち悪くて」 そうだねぇ、と相槌を打ったカロフィステリは、ふと表情を明るくして笑った。 「ああ、でも若くてつやつやしてるのなら別だよぉ、あのね…この間メリュお姐ちゃんが<覇王>に貰ってたお人形、あんなのだったらフィスティもちょっと欲しかったんだけどなぁ。みんな覚えてない? ほら、ピンクの若いオンナノコ。いたでしょ? お姐ちゃん、用が済んだらフィスティにも遊ばせてくれるって言ってたのにぃ、人間なんかにやられちゃって帰ってこないしぃ。お着替えとかして遊びたかったのに、つまんなーい。お姐ちゃん、どうして負けちゃったんだろ。あーあ、ピンクって珍しかったのになぁ。ここに帰って来てくれないかなあ……そしたら今度はフィスティが遊んだげるのになあ」 うっとりとどこか遠くを見つめるカロフィステリの姿を、アパンダはいかにも恐ろしそうに横目で眺めた。 「お前、よくそういう怖いこと言えるよな……。俺は若かろうが年寄りだろうが厭なモンは厭だぜ。ピンクだってなあ…生き人形とはいえメリュジーヌが<外>に持っていってくれた時はホッとしたもんだ。まさかメリュジーヌがそのまま戻ってこなくなるとは思わなかったけど…」 「あ、もしかしてぇ、アパンダちゃんてメリュお姐ちゃんのこと好きだったぁ?」 「は!? なっ……なんでそんな話になんだよ!」 「だってぇ、メリュお姐ちゃんが人間に殺られちゃった時、物陰でオイオイ泣いてたじゃなぁい? 声大きかったから、みんな知ってるんだけどね〜」 「ば!?ばば馬鹿言うなよ!? あいついつも俺の顔見りゃ牛さん・牛ちゃん・ギュータンとか呼びやがって……そんなん好きな訳ねーだろいつも変な蛇巻きつけてるわ性格陰険でタカビーで他の奴を踏み台にするのが趣味だなんていう魔族仲間から見てもサイテーな根性の持ち主クイーンだって専らの噂だわでもそんなことまで余裕で帳消しにできるほどの美人でなんだかんだ言って『次元の狭間大賞・抱かれたい女部門』一位を毎年キープしてるような人気者で隠れファンも多くて実は変なあだ名で呼ばれるのもある種快感……って、何言わすんだよ!!」 「あっはっはぁ、逆ギレ〜」 「お、俺は…単に、あれだけ強かった奴が、人間なんてつまんねー奴らに倒されたってのが哀れでならねえ。それだけだよ」 「ふーん…、アパンダちゃんは本当に人間が嫌いなだけなんだぁ…」 仮面の奥で、ハリカルナッソスはふと眉根を寄せた。 一瞬カロフィステリの笑顔に氷の気配を感じたのだが、――気のせいだろうか。 何しろ本当に一瞬のことで、次の瞬間にはもとの幼い笑顔に戻っている。たちまちハリカルナッソスは関心を失った。 役にも立たない会話はまだ続いている。 「よかったねぇ、アルテ ロイテ当番外れて。嬉しいんでしょぉ?」 「そりゃお前……」 「――さて、さて」 ハリカルナッソスは延々続くつまらないやり取りを拍手二回で強制終了させ、集まってきた視線に対して咳払いした。 「…えー。そろそろ解散にしたいのだが…何か質問は?」 誰も動かない。 「…それでは、今回はこれで解散とする。また召集がかかるまで自由にしていて良し」 ぱちんと手を叩くと、中央に灯っていた明かりが消えた。 闇の中、それまで集っていたメンバーが三々五々散っていく気配がする。 やがて扉が閉まる音がして、ハリカルナッソスはようやく一人になったことを知った。 両手で顔を覆う。 溜息をつき―― 「…あー、疲れた。城主なんてホント、めんどくさ。さっさと部屋戻ってうたた寝でもしよーっと…」 すたすたと足早に闇から出て行き、部屋はあっという間に無人となった。 最後の物音が聞こえなくなったのを確認して、『彼』はようやく床から耳を離した。 永遠に動かないコピーの青空と、永遠に育つことも枯れることもないコピーの草木に彩られた、この城の空中庭園。『彼』はその広々とした空間いっぱいに、動かずいたせいで固くなりかけた四肢を伸ばした。 この石畳の床一枚の下に、幹部の集まる先程の部屋があるのだ。 実は『彼』自身も幹部である。なのに。 (また、誰も呼んでくれなかった……) その部屋に呼ばれたことはおろか、幹部の会合に誘ってもらったこと自体、一度だってない。 本当に自分は幹部だと、皆認識してくれているのだろうか。 がっくりと垂れた首をどすんと床に下ろすと、下の建物ごと大きく揺れた。が、『彼』は少しも気にしない。 (いいもん。大きいことはいいことだもん) ここで待っていれば、いつか<敵>がやって来るのだとあの城主は言った。それを倒すのが『彼』の使命なのだと、だからここから動かずに待機していて欲しいと。幹部に任命されたのもその時だ。『彼』は素直に喜んでそれを引き受け、今日までじっとここに身を潜めて待ち続けているのだった。 そして流れた時間は、およそ千年。 その間、このほとんど通行人もない庭園で出会った人物は数えるほどしかいない。 (早く来てくれないかなあ…敵) いい加減、一人遊びの類はネタ切れだ。 手遊びから偶然、自分でもびっくりするほど強力な技を生み出したりもしたが、これだって相手がいなければ本気では使えない。 (早く実戦で使ってみたいなー…ギガフレア…) ――素晴らしい技だ。 『彼』は目を閉じ、一番最近出会った人物の言葉を思い出しては噛み締めた。 <覇王>と名乗ったそいつは一見、青白い甲冑のようだった。しかしただの甲冑にしては動いたり喋ったりと活きが良かったし、何より『彼』の技を褒め称え、その技に『彼』自身では決して思いつかないような立派な名前もつけてくれた。そうして言ったのだ。 ――まもなく、ここへ敵が乗り込んでくるだろう。その時は、誰が駄目でも必ずお前が奴らを止めるのだ。 その後まもなく甲冑は次元のさらに奥へと行ってしまい、『彼』はまたぽつんとここに残されたのだが。 きっと、と思う。 自分がその<敵>を倒せば、あの<覇王>――とかいう、活きのいい甲冑は喜んでくれるだろう。もしかしたら喜んで、また自分に会いに来てくれて、誉めてくれるかもしれない。それだけではない。今は自分を呼んでもくれないこの城の幹部たちも、きっと自分を見直して、仲間に入れてくれるようになる。 だから、悲しくなんてない。 悲しいことなんて何一つない…―― (あーあ、それにしても暇だなあ……またちょっと、寝ちゃおうかなあ…) その巨大さゆえにこの場所から離れることを許可されない小山のような巨体をひときわ大きく揺すり。 『彼』、ツインタニアは深い溜息と共に静かに眠りに落ちていった。 △BACK△ |
ギャグを書こうとして、不発…とっても中途半端です。というか…なんだかむしろ可哀想な話に!? 各キャラの性格は、もちろん冗談です(笑)そして色々イベントとか忘れてます。ボス一斉挨拶とか。 カロフィステリの喋り方が、我ながらうざったいです…ね…。 |